
宇倍神社
Ube-jinja Shrine
宇倍神社の予備知識
宇倍神社は因幡国一宮であり、鳥取県内では参拝者数最多を誇ります。神話に登場する日本最古の総理大臣、武内宿禰を祀っています。
宇倍神社の所在地
宇倍神社の祭神
主祭神 | 武内宿禰 Takenouchi-no-Sukune |
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武内宿禰(タケノウチノスクネ / タケシウチノスクネ)は『古事記』や『日本書紀』に登場し、第12代景行天皇〜第16代仁徳天皇までの5代に渡って宰相として仕えたとされています。正確な年代は不明です。
宇倍神社を主観的に格付け
由緒
社格
知名度
アクセス
- 鳥取市中心部から車で15分程度(坂道に数カ所の駐車場あり)
- 鳥取駅からバス乗車20分程度『宮下』バス停下車すぐ
スケール
観光
パワー
武内宿禰が神話で300歳以上生きたことに加え、明治時代に紙幣として使用されていたことに因みます。
宇倍神社の周辺地域
鳥取砂丘
宇倍神社からは少し遠い(車で20分程度)ので恐縮ですが、鳥取砂丘の写真をUPしときます。



宇倍神社境外
宇倍神社は鳥取市中心部からさほど遠くない住宅地の裏山的な場所に立地します。二ノ鳥居の右手にある坂道を少し登ると駐車場があります。ちょっとわかりにくいかもしれません。
因幡国庁跡
宇倍神社から川を挟んで700mほど南に、因幡国庁(要するに古代の鳥取県庁)跡があります。飛鳥の藤原宮跡に似た雰囲気です。おそらく、意図して宇倍神社の近くに建造されたのだと思います。
細い道を通らないといけませんが、滅多に他の車は来ません。古代史ファンなら見ておいて損は無いでしょう。



宇倍神社境内
参道
石段は結構長いです。一宮神社としては規模は小さめで人も少ないですが、その分、一人が享受できるパワーも大きいことでしょう。本殿裏に主祭神『武内宿禰』の霊跡と伝わる『双履石』が安置されています。なお、明治時代から昭和時代前期まで、武内宿禰と拝殿の図柄が紙幣に使われていました。

本殿・拝殿
武内宿禰は『古事記』『日本書紀』のほか『因幡国風土記』等に登場し、第12代景行天皇〜第16代仁徳天皇までの5代に渡って仕えたと記されています。
それらの古文書に記される年代に基づけば、なんと300歳くらいまで生きたことになります。なので後世、長寿の神様として崇められるのですが…




記載される年代に基づけばの話ですが、この時代以前の天皇の多くは、100歳とか150歳くらいまで生きたことになっています。その理由については諸説あります。
- この時代の天皇は1人の人ではなく1つの王朝を擬人化したものである
なかなか面白い説ですね。まあ、現代の日本人だって、動物はおろか乗り物や文房具、挙句に世界の国々まで擬人化していますよね。
また、ネット上で頻繁に散見されるのが以下の説です。
- この時代の日本では半年を1年としてカウントしていた
「トシ」はもともと「収穫」を意味する言葉だったという説があるので、あり得る話だと思います。ただ、この説を以ってしても、武内宿禰の360歳は流石に説明がつきません。これに関しては、以下の説がメジャーです。
- 武内宿禰は人名ではなく『内閣総理大臣』的な役職名である
私もこの説を推します。つまり、武内宿禰は何人もいたということになります。個人的には、オオクニヌシも卑弥呼もタケミナカタも役職名というか称号みたいなものだと考えています。
双履石
さて、本殿の裏側の石段だったか木段だったかを登れば、『双履石』があります。武内宿禰はこの場所で生涯を終えたと伝えられています。


宇倍神社の御朱印
