
多賀大社
Taga-taisha Shrine
多賀大社の予備知識
多賀大社はイザナギとイザナミを祀る有名神社です。中世から江戸時代にかけて、伊勢神宮や熊野三山と並ぶ人気を集めました。
多賀大社の所在地
多賀大社の別名
かつては神仏習合の神宮寺であったため、『多賀大明神』と呼ばれていました。また、「お多賀さん」という愛称も古くから定着しています。
多賀大社の祭神
主祭神 | イザナギ(伊邪那岐大神) |
---|---|
イザナミ(伊邪那美大神) |
日本神話をかじったことがある人には説明不要ですね。国生み神話の父母神、つまり日本列島の生みの親です。アマテラス(天照大神)やスサノオ(素戔嗚尊)の親神でもあります。
『古事記』や『日本書紀』によれば、イザナギは晩年、淡路国の多賀の宮に隠居したと記されています。ところが、『日本書紀』の写本Ver.によっては「淡路」ではなく「淡海」と記されているんですね。もし、淡路であれば伊奘諾神宮のことですし、淡海(近江)であれば、多賀大社のことです。
写本家が意図して書き間違えたように思えてならない(^_^;)
多賀大社の俗謡
中世から江戸時代にかけて、「お多賀参り」が「お伊勢参り」や「熊野詣で」と並ぶ人気を博し、以下のような俗謡が生まれました。
お伊勢参らばお多賀へ参れ
“お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる”
多賀大社の主祭神が伊勢神宮の主祭神アマテラスにとっての両親であることを強調しています。江戸時代にお伊勢参りがたいそう流行ったようなので、少しでもその人気にあやかろうとした様子が伺い知れます。
お多賀様へは月参り
“お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り”
前半は現代でも耳にする言葉ですが、後半の月参りというのはすごいですね。けれども、伊勢神宮や熊野三山に比べて交通至便な立地なので、あながち不可能ではないかもしれません。
多賀大社を主観的に格付け
由緒
★★★★★
創建年:神代
上述の通り、神代の遺構とされています。
ただし、現在の場所に建立されたのが確実なのは戦国時代(1494)、守護大名である六角高頼によるものです。しかも、当時は神社というより神宮寺、つまり神仏習合の寺院でした。寺社勢力を懐柔し、戦国大名として六角家の威光を示そうとした形跡が伺い知れます。
社格
★★★☆☆
式内社(式内小社)/ 旧官幣大社 / 別表神社 / 近江国三宮
どちらかというと近代以降に格上げされた感じがします。
知名度
★★★☆☆
駅名になっていることもあり、滋賀県内の神社の中では一二を争うほど有名ではないでしょうか? おそらく、一宮である建部大社よりも知名度は上だと思います。
アクセス
★★★☆☆
・近江鉄道『多賀大社前』駅→徒歩10分程度
・名神高速道路『湖東三山』スマートIC→車で15分(大型駐車場あり)
スケール
★★★★☆
体感的には伊勢の外宮くらいありそうな気がします。
観光
★★★☆☆
わりと観光地観光地しています。
パワー
★★★★☆
長寿、縁結び、厄除け
多賀大社の周辺地域
犬上郡の地政学
現在の犬上郡は多賀町を含む3つの町で構成されていますが、かつては彦根市を含む広い範囲に跨る地域でした。
犬上氏の勢力地盤
古代史の専門家でないので詳しい言及は避けますが、このあたりはかつて、犬上(Inukami)氏という豪族が支配した地域です。地名と苗字と、どちらが鶏でどちらが卵なのかはよくわかりません。犬上氏はアマテラスとスサノオの誓によって生まれた神であるアマツヒコネ(天津彦根命)を祖神とする一族(二族?)です。『彦根』という地名の由来とも言われています。
ひこにゃんの子孫が犬神様だと覚えておきましょう(投げやり)
交通の要衝
この辺りは古代から交通の要衝で、畿内と東国を結ぶ主要な街道の一つである中山道が通っています。東国の玄関口である不破関から近く、さらに北陸地方へのルートである北国街道への分岐点もあります。
もし自分がこの地域の領主だったら、単なる通過点としてではなく、なんとかして地元に金を落としてもらいたいと考えるでしょう。「お多賀さん参り」はその手段として、まさにうってつけです。
近江鉄道
近江鉄道は滋賀県の湖東地方を南北に結ぶ鉄道です。いかにもローカル私鉄という雰囲気が漂っていますが、西武鉄道グループの会社です。
JRの米原駅と彦根駅に接続しているので、このいずれかの駅から乗車することになると思います。
高宮駅
最寄駅である多賀大社前駅まで、ごく一部の列車は彦根駅から乗り換えなしで行くことができますが、ほとんどの場合は途中の高宮駅で乗り換えることになります。
高宮はこのあたりの町名で、中山道の宿場町である『高宮宿』があった辺りです。高宮とは、少し先にある多賀の宮、すなわち多賀大社のことを指していると思われます。ちなみに、他所の人は「たかみや」の「か」にアクセントを付けますが、地元では「た」にアクセントを付けます。
多賀大社前駅
乗り換えて二駅目が終点の多賀大社前駅です。有名神社の最寄り駅としてはありがちな、神社の社殿を意識した駅舎ですが、あからさまでないところが逆に好感持てます。


多賀大社境外
一ノ鳥居
駅前に堂々とそびえ立つ一ノ鳥居が参道の入口です。
絵馬通り
多賀大社の参道は『絵馬通り』と呼ばれ、いかにも門前町というか鳥居前町の様相を呈しています。土産物屋さんや飲食店もあり、そこそこ賑わっています。






多賀大社境内
大鳥居
絵馬通りを500mほど歩けば境内の入口である大鳥居があります。訪問したのが7月だったので、8月初旬に開催される『万灯祭』の準備中でした。


太閤橋・神門
大鳥居と神門の間にアーチ型の橋があります。豊臣秀吉の寄進によって天正十六年(1588)に造られた橋なので『太閤橋』と呼ばれます。渡ることもできますが、実際に渡ってみると写真で見る以上に急傾斜なので、なかなか怖いです。


本殿・拝殿
拝殿の奥に本殿があり、回廊で繋がっています。檜皮葺の建造物で、いずれも多賀町の有形文化財に指定されています。派手さはありませんが、荘厳な佇まいだと感じます。
他の神社と同様、本殿を横から眺めることができます。私は建築様式に関しては疎いですが、とりあえず流造という言葉は覚えました。




摂社・末社
有名神社らしく多くの摂社や末社がありますが、その一部だけ紹介します。
熊野神社・熊野新宮
熊野神社と熊野新宮はそれぞれ、熊野大社と熊野速玉大社の主祭神であるクシミケヌ(櫛美気野命)とハヤタマオ(速玉男神)と祀っています。「大社」と名のつく神社の多くは出雲系ですが、多賀大社で出雲色を感じるのはここだけです。
金咲稲荷神社
本殿の横に金咲稲荷神社という、名前だけで参拝客を集められそうな末社があります。鳥居の数は多くありませんが、令和三年(2021)に塗り替えられたばかりなので、非常に綺麗です。質素な社殿に華を添えてくれているようにさえ見えます。


奥書院庭園
拝殿に向かって左手奥に『奥書院』と、それに付随する庭園があります。庭園は豊臣秀吉によって寄進されたと言われています。
多賀大社の一番の見どころと言っても差し支えないかもしれませんが、例のごとくスルーしてしまいました。再訪の際に記事を更新したいと思います
多賀大社の御朱印
これまた独特な筆跡ですね。右上の「莚」は敷物のことですが、草木や生命が繁栄するという意味もあるそうです。多くの神々を産んだイザナギ・イザナミを象徴する一文字です。
