
石清水八幡宮
いわしみずはちまんぐう
Iwashimizu-Hachimangū Shrine
石清水八幡宮の予備知識
石清水八幡宮は京都と大阪の府境、男山の山上に鎮座する有名神社です。平安時代に宇佐神宮を勧請して創建されました。
石清水八幡宮の所在地
石清水八幡宮の祭神
中御前 | 応神天皇 The 15th Emperor Ōjin | ホムダワケ(誉田別尊) | |
---|---|---|---|
西御前 | 比咩大神 Hime-Ōkami | 宗像三女神 | タギリヒメ(多紀理毘賣命) |
イチキシマヒメ(市寸島姫命) | |||
タギツヒメ(多岐津毘賣命) | |||
東御前 | 神功皇后 | オキナガタラシヒメ(息長帯比賣命) |
勧請元であり八幡神社の総本山でもある、宇佐神宮の主祭神と同じです。
八幡大神とは一般的に、応神天皇ことホムダワケ(誉田別尊)を指すことが多いです。しかし、当神社のHPでは上記3柱の総称というニュアンスで記載されています。
源氏の氏神神社
石清水八幡宮は源氏の氏神神社でもあります。つまり、源氏は八幡大神を祖神として崇めているわけですね。
源義家(1039-1106)はここで元服したので『八幡太郎』を名乗りました。個人的に、歴史上の人物の中で一二を争うほど好きな人物です。自分には功績に見合う恩賞が無くても、部下には恩賞を惜しまなかったなんて、ぐう聖ですね。
石清水八幡宮を主観的に格付け
由緒
第56代清和天皇の勅命により、宇佐神宮より勧請して創建されました。ちなみに、清和天皇は源義家や頼朝の祖先です。
社格
国史見在社はあまり聞きなれない言葉ですが、式内社ではないのに『六国史』に記されている神社を指すようです。
創建以来、伊勢神宮と並んで別格扱いだったようです。
知名度
行ったことなくても名前くらいは知っている人が多いでしょう。源義家が元服したことでも知られていますし、『徒然草』にも登場します。
アクセス
- 京阪電鉄『石清水八幡宮』駅→ケーブルカー『八幡宮口』駅から乗車5分→『八幡宮山上』駅にて下車→徒歩10分
スケール
麓の摂社や末社も含めれば相当広いはずです。ただ、境内や参道を歩いている限り、それほどスケール感を感じません。
観光
社格や知名度の割に、観光地と見ると若干、弱い気がします。ポテンシャルは高いので、もう一皮剥けてほしいところです。
パワー
石清水八幡宮の周辺地域
男山周辺の地政学
石清水八幡宮は男山(143m)の山上に鎮座しています。男山は京都から見て裏鬼門の方角です。また、木津川、宇治川、桂川という三大河川の合流地点にほど近く、水上交通がメジャーだった古代において交通の要衝でした。
京阪電鉄石清水八幡宮駅
石清水八幡宮へのアクセスは京阪電鉄が便利です。もともとは『八幡市』という駅名でしたが、2019年に『石清水八幡宮』駅に改称されました。この辺りが八幡市の中心街というわけではないので、妥当な改称だと思います。
ケーブル八幡宮口駅
石清水八幡宮駅の改札を出て右手すぐのところに、ケーブルカーの『八幡宮口』駅があります。男山山上の境内まで、歩いて登ることもできますが、ケーブルカーを使うほうがオススメです。



ケーブル八幡宮山上駅〜境内
ケーブルカーの『八幡宮山上』駅までは3分で到着します。直線距離で言えば、ここから本殿まで僅か100m足らずですが、坂道を通って南門まで迂回して行かないといけないので、10分くらいは歩く必要があります。決して大きな山ではないのですが、鬱蒼とした竹林が広がっており、遭難してもおかしくなさそうな雰囲気です。山を侮ってはいけません。


エジソン記念碑
竹林を抜けると、少し開けた場所があり、駐車場や体育施設などがあります。その一角に、エジソン記念碑があります。
実は、発明王トーマス・エジソン(1847 – 1931)と、石清水八幡宮とは深い関係があります。彼は白熱電球の実用化に向けた研究において、竹をフィラメントの素材として使用すると電球の寿命が延びることを発見しました。その際に、当時の京都府知事が紹介した石清水八幡宮周辺の竹が採用されたのだそうです。

石清水八幡宮境内(上院)
さて、エジソン記念碑の近くにある石段を登って、境内に入りましょう。石段を登り切ると、参道の中間地点あたりに出ることができます。
ところで、石清水八幡宮の境内は本殿周辺の上院、山麓の摂社・末社群の下院に分かれているようです。そのあたり、上宮と下宮に分かれている宇佐神宮と似ていますね。
上院参道(三ノ鳥居〜南総門)
三ノ鳥居〜南総門までは『上院参道』という石畳の参道です。参道の長さは100mで、両脇に約400基の石灯籠が設置されています。
一ツ石
三ノ鳥居近くに『一ツ石』という、自然石の露出した箇所があります。かつて、ここから南総門まで馬で競走する際のスタートラインとしていたようです。
書院石庭
昭和二十七年(1952)、作庭家の重森三玲によって造られました。



本殿周辺
南総門
上院参道の終点にある南総門の先に本殿が見えます。写真ではわかりにくいですが、南総門から見た本殿は、すこし斜めを向いています。あえて本殿に対して真正面、真後ろを向けないよう配慮されたのだとか。

御本殿
御本殿は『八幡造』という建築様式の立派な建物で、国宝に指定されています。八幡造の建造物は、全国でもここと宇佐神宮、それに伊佐爾波神社の3箇所でしか見られないそうです。
厳密には手前から舞殿、幣殿、本殿の3殿で構成されています。また、本殿は外殿と内殿から成り、いずれも寛永十一年(1634)、徳川家光によって再建されました。


表参道
さて、三ノ鳥居まで戻り、表参道を降って下院エリアに向かいましょう。ただ、人通りが少ないので時間帯によっては一人歩きを避けたほうが良いです。有名神社なんだから、表参道も街灯というか石灯を綺麗に整備して、見晴らし良くしてほしいものです。まあ、そのあたりは色々とジレンマがあるのでしょう。
石清水井・石清水社
上院と下院を結ぶ参道の途中に、石清水井という井戸があります。石清水八幡宮における最大のパワースポットです。
この井戸から湧き出る霊水は『石清水』と呼ばれ、祭祀において使用されます。まさに石清水八幡宮という名前の由来でもあります。
また、井戸の隣には摂社の石清水社があります。祭神は世界の創世神であるアメノミナカヌシです。その理由は謎ですが、日本神話が成立する以前の古来より、ここがパワースポットとして崇敬されていたことを伺わせます。
社名・社格 | 石清水社 Iwashimizu-sha | 石清水八幡宮の摂社 |
---|---|---|
祭神 | アメノミナカヌシ(天之御中主尊) |


石清水八幡宮境内(下院)
放生川
表参道を通って麓に降りると、正面に川が見えます。放生川という川で、後述の石清水祭で魚の放流が行われます。
放生川を右手に、駅まで戻りましょう。その途中に、高良神社や頓宮などの下院エリアがあります。


高良神社
高良神社は石清水八幡宮の摂社です。兼好法師の徒然草『仁和寺の法師』の段に登場します。
社名・社格 | 高良神社 Kōra-jinja |
---|---|
祭神 | コウラタマダレ(高良玉垂命) |
徒然草『仁和寺の法師』要約
仁和寺の法師:こないだ初めて石清水八幡宮いてきたんやわ
同僚:ほう、どやった?
仁和寺の法師:めっちゃ良かったでー
同僚:せやろ、せやろ?
仁和寺の法師:けどな、なんか知らんけど皆、山の方登って行きよるねん。お参りも済ませたし、なんで山登りまでせなあかんねん思うて行かんかったわ。
同僚:お、おう・・
つまり、仁和寺のお坊さんは高良神社を石清水八幡宮の本殿と勘違いして、肝心の本殿にはお参りせずに帰ってしまったということですね。
高良神社の祭神
祭神のコウラタマダレ(高良玉垂命)は八幡大神の随神とされています。その実態は武内宿禰であるとか山幸彦であるとか、諸説あります。
頓宮
高良神社の隣に『頓宮』があります。頓宮とは「仮の宮」のような意味です。といっても、そこそこ立派な建物です。
石清水祭
ここでは毎年9月に『石清水祭』という勅祭が行われます。なお、勅祭とは天皇の勅使を招いて開催される祭祀のことです。
主祭神の神霊を一時的に山上の本殿から頓宮に遷し、国家安泰を祈願したり放生川に魚を放流するなどの儀式が行われます。


石清水八幡宮の御朱印
御朱印には『洛南男山八幡大神』と記されています。
また、黄金バージョンの御朱印帳、サイズは小さいですが、各地の神社で「かっこいいご朱印帳だね!」と言ってもらえます。

