
中山神社
Nakayama-jinja Shrine
中山神社の予備知識
中山神社は岡山県内陸部の中心都市、津山市に鎮座する美作国一宮です。『今昔物語集』をはじめとする中世の説話集にも登場します。
中山神社の所在地
中山神社の祭神
主祭神 | 鏡作神 Kagamizukuri-no-kami |
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相殿神 | イシコリドメ(石凝姥神) |
アメノヌカド(天糠戸神) |
金属加工の神?
鏡作神って、あんまり聞きなれない名前ですよね。『古事記』や『日本書紀』にも全く名の見えない神様で、その正体については諸説あるようです。神社の由緒書には、相殿神であるイシコリドメ(石凝姥神)と同一神であることを匂わせるような記載がされています。
イシコリドメは金属加工の女神で、作鏡連(鏡作りを生業とする職人の集団)の祖神とされています。岩戸隠れの際に八咫鏡を鋳造したことでも知られています。なお、もう片方の相殿神アメノヌカド(天糠戸神)はイシコリドメの親神です。
猿の神様?
しかし、鎌倉時代の説話集『今昔物語集』では、中山神社の主祭神は猿神だとされています。悪者として描かれ、犬を飼いならしたヒーローによって成敗されるものの、最終的には助命されるというストーリーになっています。
桃太郎の鬼?
しかし一方で、中山神社の主祭神は『桃太郎』の鬼のモデルとなった『温羅』だという説も存在します。温羅に関してはこれまた謎が多いのですが、製鉄や金属加工に長けた民族集団を擬人化(擬鬼化というべきか)したものだと考えられています。少し強引かもしれませんが、頭に「タタ」をつければ「タタウラ」→「タタラ」になります(タタラに関しては南宮大社の記事をご覧ください)。
土着の豪族?
結局のところ猿であれ鬼であれ、その時代によって異なる、この地域を支配していた豪族を神格化したものだと思います。記事の最後の方で、もう少し深掘りしてみます。
須佐神社を主観的に格付け
由緒
この地域が備前国から美作国へ分離独立したのが和銅六年(713)で、その時に創建されたという説もあるようです。おそらく、神社としての創建年か、美作国一宮としての創建年かの違いだと思います。
なお、現在の社殿は戦国大名である尼子晴久(1514-1561)によって再建されたものです。
社格
知名度
もちろん地元では有名だと思いますけどね。
アクセス
- 中国自動車道『院庄』IC→車で10分強(駐車場あり)
JR津山駅から直線距離で5km程度なので、徒歩だと1時間かかります。バスの情報も調べてみましたが、中山神社の近くまで行く路線は無さそうです。
車の場合、津山ICからでも近そうに見えますが、市街地を経由するので道がややこしく渋滞に巻き込まれる可能性もあるので、中山神社だけが目的であれば院庄ICのほうがお勧めです。
スケール
境内の広さは一宮神社としては標準的なスケール感です。ただ、本殿の大きさに圧倒されたので、ボーナス加点しました。
観光
観光地とは言い難いですが、大きな本殿は見応えがあります。
パワー
中山神社の周辺地域
津山市の地政学
内陸のハブ
冒頭で述べた通り、津山市は岡山県内陸部(旧美作国)の中枢都市であり、中国地方全体で見ても内陸都市としては最大の人口を持つ街です。また、岡山市や倉敷市といった県内の大都市だけでなく、鳥取市や米子市、それに広島や京阪神方面とも高速道路で結ばれ、日帰り可能となっています。
広大な盆地
そんな津山市を抱える津山盆地を航空写真を見てみると、そこそこ広い盆地であることがわかります。甲府盆地や奈良盆地とそう変わらない気がします。古代であれば独立して一つの国になったとしても不思議ではないです。
JR津山駅周辺
本当は津山駅前を散策して津山城も見ておきたかったのですが、今回は時間の都合で断念しました。ただ、駅前の大通りを車で通りましたが、県庁所在地と見紛うほどの洗練された街並みに見えました。
JR東津山駅周辺
津山駅から一駅離れた東津山駅付近に至るまで、国道沿いには大型店が数多く立ち並んでいます。想像以上に商業スケールが大きくて驚きです。
国道と並行する旧道には昔ながらのこじんまりした店が点在しています。化粧品店さんの正面に、鳥居の立派な八幡神社があります。100人乗れるかどうかはわかりませんが、芸能上達のご利益がありそうです…


すいません、もったいぶりすぎですね。化粧品店はB’z稲葉さんのご実家です。ファンなら一度は聖地巡礼しておきたいですよね。マナーの遵守とプライバシーへの配慮を心がければ問題ありません。あと、学生さんもよく通るので、車で行かれる際はくれぐれも気をつけてください。東津山駅から徒歩圏内ですので、そちらを推奨します。
中山神社境内
さて、中山神社の案内をしましょう。
大鳥居前
大鳥居前の道路は少し狭いですが、交通量も少ないので離合ポイントを確認しながら進めば大丈夫です。大鳥居の左手に狭い駐車場がありますが、よく見るとその奥が大駐車場へ繋がっています。
祝木のケヤキ
大鳥居の手前に『祝木のケヤキ』があります。樹齢は推定800年だそうなので、鎌倉時代頃ですかね。中山神社自体は中世から戦国時代にかけて数度にわたって消失しましたが、この木は無事だったということになります。


参道
大鳥居をくぐって境内に入ります。炎天下だったせいか、休日にも関わらず参拝客ほとんど見当たりません。それにしても、綺麗な参道です。



狛猿
狛犬の向こうに、さらにもう一対の狛犬らしきものがあります。近づいて見てみると、狛犬(獅子)にしてはやけにスリムです。
予備知識ゼロで参拝しましたが、なんとなく猿と縁の深い神社だということを察しました。


神門
狛猿の先にある神門は明治時代初期に津山城の城門を移築したものだそうです。津山市の重要文化財に指定されています。
神域
社殿は天文二年(1534)の尼子晴久による美作攻略の際に消失しました。しかし永禄二年(1559)、美作平定の暁に晴久自身によって再建されました。
本殿・拝殿
写真だとスケール感が伝わりにくいですが、拝殿の奥にある本殿の大きさが圧倒的です。建築様式は『中山造り』と呼ばれ、この地域でしか見られない独特なものだそうです。いちおう、国の重要文化財にも指定されています。




摂末社群
神楽殿・惣神殿
神門をくぐってすぐのところに、神楽殿と惣神殿があります。かつて境内や周辺地域に100社以上の摂社や末社があったようですが、戦乱のさなかに失われました。惣神殿にはそれらの神々が合祀されており、市の重要文化財に指定されています。
鉾立石・国司社
鉾立石は拝殿左脇あたりの石段を登った所にあります。文字通り鉾を立てるための石です。鎌倉時代の蒙古襲来(1274, 1281)の際に、鉾を立てて戦勝祈願が行われました。
鉾立石の奥にある国司社は地主神としてオオクニヌシ(大国主神)を祀っています。山陰地方にも近い地域なので、出雲王国の支配下だった時代もあっただろうと思います。


猿神社
本殿の裏手に小さな鳥居があり、その先に進むと『猿神社』があります。段差の急な狭い石段を少し登った所に社殿というか祠が鎮座しています。手すりをしっかり握って、足元に注意しながら参拝してください。

モチーフは土着の豪族
皆さんご存知の通り、『桃太郎』の猿はヒーロー側の立場で、犬とも協力関係です。しかし冒頭でも述べた通り、『今昔物語集』では悪役として描かれ、犬も敵に回してしまうなど、随分と違う役回りです。
実は『桃太郎』はヤマト王権の四道将軍の一人である吉備津彦がモチーフだといわれています。だとすれば、その従者である犬・猿・雉はそれに協力した豪族であり、退治される鬼は被征服者側の豪族だと捉えることができます。その辺りは吉備津彦神社の記事をUPする際にも触れようと思います。
では、その「猿」がなぜ、『今昔物語集』では退治される側の立場になってしまったのでしょうか? あくまで私の想像ですが、美作の支配者が以下のような流れで変遷していったことが関係しているのではないかと思います。
- 吉備国(美作を含む)が製鉄で力をつけた豪族(作鏡連=温羅=鬼)の支配下にあった
- ヤマト王権(吉備津彦=桃太郎)が吉備国を制圧→協力した豪族三派(犬・猿・雉)に領地(吉備だんご)を割譲
- 豪族の一派(猿)がヤマト王権に対して反乱を起こす→もう一派(犬)の裏切りに遭い鎮圧される
つまり、『桃太郎』は上記の2.で、『今昔物語集』の説話は3.に該当するわけです。神話や昔話は大抵、歴史的事実を抽象化したものである場合が多いです。
いずれにせよ、中山神社の主祭神は古代美作の支配者を神格化したものだと思われます。
御朱印
