
吉備津神社
Kibitsu-jinja Shrine
吉備津神社の予備知識
吉備津神社は広島県福山市に鎮座する備後国一宮です。地元では一宮であることに因んで「一宮(いっきゅう)さん」と呼ばれています。
吉備津神社の所在地
吉備津神社の祭神
主祭神 | オオキビツヒコ(大吉備津彦命) Ō-Kibitsuhiko-no-mikoto |
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相殿神 | ネコヒコフトニ(大日本根子彦太瓊命) Ōyamato-neko-hiko-Futoni-no-mikoto |
クワシヒメ(細比売命) Kuwashi-hime-no-mikoto | |
ワカタケキビツヒコ(稚武吉備津彦命) Wakatake-Kibitsuhiko-no-mikoto |
主祭神は四道将軍兼皇族
キビツヒコ(吉備津彦命)は『古事記』や『日本書紀』に登場する四道将軍の一人です。『日本書紀』では吉備津彦命、『古事記』では大吉備津彦命と記され、吉備津神社では古事記の呼称が採用されています。なお、キビツヒコは四道将軍としての役職名で、ヒコイサセリ(彦五十狭芹彦命 / 比古伊佐勢理毘古命)が本名らしいので、以後はヒコイサセリと呼びます。
ヒコイサセリは第7代孝霊天皇の皇子であり、卑弥呼と同一人物説のあるモモソヒメ(倭迹々日百襲姫)とは同母兄妹にあたります。実在の可能性に関しては諸説ありますが、おおよそヤマト王権の基盤が固まりつつあった頃の偉い人であることは間違いないでしょう。
相殿3柱
ネコヒコフトニ(大日本根子彦太瓊命)はヒコイサセリの父である孝霊天皇と同一人物とされています。
クワシヒメ(細比売命)は孝霊天皇の皇后であり、ヒコイサセリにとっては義母にあたります。
また、ワカタケキビツヒコ(稚武吉備津彦命)はヒコイサセリの弟で、主祭神と同様に『古事記』での表記が採用されています。名前からして「若いほうのキビツヒコ」的なニュアンスかと思われます。『日本書紀』では稚武彦命と表記されています。
吉備津神社を主観的に格付け
由緒
吉備国が備前、備中、備後の三国に分割されたのは飛鳥時代(689)ですが、それより100年以上後の平安時代初期に創建されたことになります。
社格
一宮神社としては若干低めな社格で、『延喜式』の式内社でないのが意外です。『延喜式』は醍醐天皇の時代(905)に記された法典で、先述の創建年より100年も後です。もし、その時代に存在していれば必ず式内社に含まれるはずだと考えるのが自然です。もしかすると創建年が誤りなのか、それとも何か政治的理由があったのか、諸説あるようです。
知名度
全国の一宮神社の中でも、有名なほうに入るのではないかと思います。ただ、岡山市のほうと混同されることが多そうです。
アクセス
- JR新市駅→タクシー5分(2km)
バスも調べて見ましたが、参拝時間帯には通ってなさそうです。駅から2kmなので歩けなくはないですが、まあ普通はタクシーでしょうね。
なお、私は3駅先の府中駅からレンタサイクルで行きました。
スケール
一宮神社の中でもまあまあ広いほうだと感じました。本殿の立派さと、摂末社群の多さに驚きます。
観光
観光というほどではありませんが、本殿の美しさは一見の価値ありです。
パワー
吉備津神社の周辺地域
福山市・府中市の地政学
広島県第二都市福山
福山市は広島県東部に位置する県内第二都市です。第二都市といっても人口はそこいらの県庁所在地よりも多く、福山駅には新幹線のぞみ号も一部停車するため、そこそこ知名度も高いでしょう。ちょうど兵庫県でいう姫路のようなポジションだと思います。
広島県は東西に長く、同じ県の広島市とは直線距離にして80kmあるのに対して、隣県の岡山市までは50km程度です。古代は同じ『吉備国』だったこともあり、生活圏でいえば岡山と繋がりが深いようです。ただ、カープファンが多そうだったので、広島県民という意識はそれなりに高いと思われます。
福山の隣の府中市
そんな福山市の北に隣接するのが府中市です。府中という地名は全国にありますが、要するに首都という意味です。かつての国府、今でいう県庁があった場所です。このことから、かつては福山よりも府中のほうが備後の中心地だったといえます。
なお、同じ広島県内にも府中市と府中町があり、府中町のほうは広島市に隣接…というか包囲されています。実は府中市より府中町のほうが人口が多かったりするのが面白いです。まあ、あちらには某大企業がありますんで…
福山市新市町
吉備津神社が鎮座する新市町は平成時代の合併で福山市の一部となった場所です。地図を見ればわかる通り、福山駅からの距離より、府中駅からの距離のほうが遥かに近いです。一宮神社は国府の近くに鎮座している場合が多いです。
JR府中駅周辺
JR福塩線は福山駅から府中駅を経由して県内内陸部の三次市のほうへ向かう路線ですが、実質、府中駅が終点です。福山〜府中間は1時間に2本程度運行されており、所要時間は約40分です。
府中駅の北側は長閑なロータリーで、いかにも地方の小都市という様相です。南側は国道沿いにロードサイド店が充実しており、駅近くには府中天満屋というショッピングモールがあるので、ある程度は時間を潰すことも可能です。天満屋向かいの中華料理屋さんが高コスパで美味しかったです。
レンタサイクル
駅改札を出て右手の駐輪場にある、カラフルなシールの貼られた自転車がレンタサイクルです。私が訪問した時点(2024年7月)でのレンタル料は100円で、近くの料金箱に入れておけば良いそうです。詳細は府中市観光協会に問い合わせてみてください。
ただ、吉備津神社へはそこそこ距離があります。北側の県道は一部舗道の狭い箇所もあるので、天満屋のある南側の国道を通って行くことを推奨します。


JR新市駅周辺
福山駅から見て府中駅より3駅手前の新市駅が吉備津神社の最寄駅だと思ってください。いちおう、駅も神社の境内を意識した造りになっています。2kmなので、普通はタクシーを使うことになると思います。
吉備津神社境外
厳島神社
吉備津神社の駐車場を過ぎ、吉備津神社の案内看板が見えてきたかと思いきや、眼前に大きな池と鳥居が現れます。
と思いきや、境外摂社の厳島神社でした。でも、ただの摂社にしては力入れてます感がヒシヒシと伝わってきます。やっぱり、広島県だからというこだわりみたいなものかなと思います。


吉備津神社境内
参道
一ノ鳥居・下随神門
厳島神社から見て道路を挟んで向かい側に、吉備津神社の鳥居があります。


桃太郎像
下随神門をくぐれば桃太郎像が視界に入ります。ちゃんと犬・猿・雉を従えています。中山神社の記事でも触れましたが、桃太郎のモデルはキビツヒコ(吉備津彦命)、つまりヒコイサセリ(彦五十狭芹彦命)またはワカタケヒコ(稚武彦命)であり、犬・猿・雉もそれに味方した豪族を抽象化したものだと考えられています。
櫻山神社
下随神門をくぐって右手に、境内末社の櫻山神社があります。鎌倉時代末期(14世紀初頭)に鎌倉幕府打倒のため後醍醐天皇に味方して挙兵するも敗れ、この地で自害した櫻山茲俊やその一族郎党が祀られています。見覚えのある名前だと思ったら、吉野神宮の摂社にも祀られていました。


上随神門
石段を登った先に上随神門があります。社伝によれば、神々が出雲に集う神無月に吉備津神社の神が欠席したことから、出雲から2人の使者がやってきたが、2人は歓待を受け、そのままこの地で親衛隊となったとされています。石段の上下に随神門があるのは、その故事に因んでいるそうです。

本殿・拝殿
本殿は福山城を築いた水野勝成によって慶安元年(1648)に再建されたものだそうです。
朱色の美しさに思わず見とれてしまいました。道理で綺麗だと思ったら、塗装と屋根は2022年に新調されたものだそうです。年季の入った質素な建造物もいいですが、これはこれで見応えがあります。



摂社末社群
本殿の周辺には数多くの摂社・末社があります。
多理比理神社
本殿に向かって左手の脇に多理比理神社があります。祭神は『古事記』に登場するオオクニヌシ(大国主神)の末裔、多比理岐志麻流美神ではないかと言われています。
先述の通り、ここ吉備津神社は一宮神社であるにも関わらず『延喜式』には記載がありませんが、多理比理神社の名はあるそうです。
十二神社
多理比理神社の先にあります。主祭神であるキビツヒコ(吉備津彦命)ことヒコイサセリ(彦五十狭芹彦命)の一族12柱と、オオクニヌシ(大国主神)を祀っています。
十麻里二柱神社
本殿に向かって右手奥に十麻里二柱神社があります。十二神社と同様、主祭神の一族12柱を祀っています。交通安全のご利益があるとされています。




吉備津神社の御朱印
久々に気合の入った個性派です。
