南宮大社

南宮大社

南宮大社 / なんぐうたいしゃ
Nangū-Taisha Shrine
伊吹山が育んだタタラ製鉄

南宮大社の予備知識

南宮大社は伊吹山の麓に鎮座する美濃国一宮です。古代製鉄業が栄えた地域であり、鉱山や製鉄に関連する神社の総本社でもあります。

南宮大社の所在地

岐阜県不破郡垂井町宮代1734-1
1734-1 Miyashiro, Tarui town, Fuwa district, Gifu Pref.

南宮大社の祭神

カナヤマヒコ(金山彦神)はイザナギとイザナミの子で、鉱山の神です。陰陽五行説における「金」とは、いわゆる金のことではなく金属全般、特に鉄を指すことが多いです。

ヒコホホデミは山幸彦の名でも知られる皇祖神です。ミノノミコトはその名の通り、この地域すなわち美濃Mino国の土着神と考えられます。

主祭神
カナヤマヒコ(金山彦神)
Kanayamahiko-no-Kami
配祀神
ヒコホホデミ(彦火火出見尊)
Hiko-Hohdemi-no-Mikoto
ミノノミコト(見野命)
Mino-no-Mikoto

南宮大社を主観的に格付け

由緒

★★★★★
創建年:不詳

第10代崇神すじん天皇の時代(3-4世紀?)に、現在の地で祀られるようになったと伝えられています。

慶長五年(1600)の関ヶ原合戦によって消失しますが、江戸幕府3代将軍徳川家光とくがわいえみつにより、寛永十九年(1642)に再建されました。

社格

★★★★☆
式内社(名神大社) / 旧国幣大社 / 美濃国一宮 / 別表神社 / 鉱山系神社の総本社

知名度

★★★☆☆

一宮神社であることを差し引けば、全国的にはあまり知られていないと思われます。

アクセス

★★★☆☆
・JR垂井駅→徒歩20分程度
・名神高速道路『関ヶ原』ICより車で15分(駐車場あり)

スケール

★★★★☆

平均的な一宮神社よりも若干、大きい印象を受けます。

観光

★★☆☆☆

ザ・観光地という感じではないです。ただし、刀剣マニアにとっては楽しいかと思います。

パワー

★★★★☆
金運、勝負運など

南宮大社の周辺地域

垂井町・関ヶ原町の地政学

不破関

南宮大社が鎮座する垂井たるい町は、隣の関ヶ原せきがはら町と共に、不破ふわ郡に属しています。ここにはかつて『不破関ふわのせき』という関所があり、古代より交通の要衝でした。現在でも、すぐ近くを新幹線が通っています。

関ヶ原の戦い

関ヶ原といえば『関ヶ原の戦い』(1600)を思い浮かべる人が多いでしょう。徳川家康率いる東軍が石田三成率いる西軍を打ち破った戦いですね。この戦禍によって、南宮大社は一度消失しています。

伊吹山

南宮大社を紹介するに当たって、必ず触れておかないといけないのが、伊吹山いぶきやま(1,377m)の存在です。滋賀県と岐阜県の県境に位置する大きな山です。

古代製鉄業のメッカ

この地域には製鉄や鉱山と関係しそうな地名や遺跡が数多く存在します。このことから、古代に製鉄業が盛んだったと考えられています。

伊吹山から東南方向に吹き降ろされる強風は『伊吹おろし』と呼ばれ、非常に冷たく乾いた風です。実はこの風が製鉄業の発展に大きく貢献したと考えられています。

美濃国二宮『伊富岐神社』

関ヶ原ICから南宮大社へ向かう途中、美濃国二宮である伊富岐神社に寄ることができます。道が狭く、駐車場らしい駐車場はありませんが、特別な時期を除けば混み合うことはありません。

なお、伊富岐神社の御朱印は南宮大社で入手可能です。

社名伊富岐神社いぶきじんじゃ
社格式内社(式内小社) / 旧県社 / 美濃国二宮
主祭神タタミヒコ(多多美彦命たたみひこのみこと伊吹山の神を指し、別称あり

伊吹山の神

伊富岐神社の主祭神『多多美彦』は『近江国風土記おうみのくにふどき』に登場する、伊吹山の神です。現代人が普通に読めば確かに「タタミヒコ」なのですが、『美』は「ウル」「ウラ」とも読めます。なので、私は「タタラヒコ」が本当の呼び名ではないかと思うのです。

古代に製鉄業の栄えた地域には「タタラ」という地名が数多く存在します。「タタラ」とは、製鉄で用いられる送風機のような器具です。伊吹山はまさに天然の「タタラ」だと言えるでしょう。なので、伊吹山の神が「タタラヒコ」と呼ばれるようになったのではないでしょうか。

ちなみに「タタラ」の語源はタタール民族であるという説もあります。タタール系の移民によって、製鉄業が古代の日本にもたらされたというものです。確固たる証拠は無いようですが、もしそうだとすればロマンがありますね。

南宮大社境外

さて、伊富岐神社から再び国道(R21)へ合流します。そして東進すること3km足らず、交差点を右折すれば南宮大社の大鳥居が見えて来ました。

吉葛神社

大鳥居の近くに、南宮大社の境外末社である『吉葛神社』があります。明治天皇(1852-1912)が南宮大社を訪問した際、ここで着替えをしたそうです。

吉葛神社の祭神であるアメノヨサツラ(天吉葛神)はイザナミ(伊弉冉尊)が産んだ神です。ヨサツラとは瓢箪ひょうたん蔓草つるくさを指すようです。

そういえば、丹後国一宮籠神社もヨサノミヤ(匏宮)と呼ばれ、瓢箪を神聖視しています。水上交通がメインだった古代において、美濃と丹後は比較的身近な地域だったはずです。両社は何かしら繋がりがあったのではないでしょうか。

社名吉葛神社よさつらじんじゃ
祭神アメノヨサツラ(天吉葛神)

南宮大社境内

さて、駐車場に車を停め、楼門のほうへ向かいましょう。

宝物館

楼門の手前、向かって左手に宝物館があります。中世の刀剣や鎧、絵画などが展示されており、地元のボランティアの方が親切に案内してくれます。全国の「刀剣女子」の方がよく来られるそうです。

楼門

楼門と、手前の石輪橋は国の重要文化財に指定されています。

石輪橋

『石輪橋』は本来、人ではなく神様が渡る為の橋なので、大きなアーチを描いています。同じような橋を伊富岐神社や多賀大社でも見かけました。

神様以外は『石平橋』のほうを渡りましょう。

狛犬

楼門の両脇に木製の狛犬があります。本殿に向かって右側が阿形あぎょう、左側が吽形うんぎょうですね。神様から見て左側にある阿形のほうが格上なのだそうです。なんとなく、角がある吽形のほうが格上なのかと思っていたら逆でした。

本殿・拝殿

楼門を潜れば、立派な拝殿と、手前の高舞殿こうぶでんが見えます。また、右手に北門、左手に南門があります。

高舞殿→拝殿→本殿→伊吹山

地図上で、楼門から伊吹山山頂まで直線を引いてみてください。楼門→高舞殿→拝殿→本殿→伊吹山山頂が一直線に並んでいるのがわかるでしょう。

五摂社

本殿の両脇と背後に摂社が5社、並んでいます。

社名南大神社なんだいじんじゃ高山社たかやましゃ七王子社しちおうじしゃ樹下社じゅげしゃ隼人社はやとしゃ
配置左端本殿左隣本殿背後本殿右隣右端
祭神ホアカリ(天火明命)サクヤヒメ(木花開耶姫命)・ニニギ(瓊瓊杵尊)オオヤマツミ(大山祇神)を含む7柱オオナムチ(大己貴命)ホスセリ(火須勢理命)

籠神社や真清田神社の主祭神であるアメノホアカリがいてますね。ちなみに、南宮大社は両神社を結んだ直線上にあります。

隼人社のホスセリは、ニニギ・サクヤヒメ夫妻から産まれた三兄弟の真ん中です。通常、長子であるホデリが海幸彦、つまり隼人族の祖先とされる場合が多いです。しかし日本書紀を含む一部の古書では、次子のホスセリを海幸彦としているようです。

境内後方

さて、南門を出て、境内の奥の方へと向かいましょう。こちらのほうにも史跡や末社群がたくさんあります。

東照宮

徳川家康を祭神とする超有名神社の分社です。関ヶ原の戦いによって消失した南宮大社を、孫の徳川家光が再建したことに因みます。

湖千海社

海神を祀る末社です。内陸である美濃国の一宮神社に海神って、ちょっと違和感ありますね。しかし古代において、濃尾平野西部の大半が海であり、この近くまで海岸が迫っていたと考えられています。

社名・社格湖千海神社こせかいじんじゃ南宮大社の境外末社
祭神トヨタマヒコ(豊玉彦命)海の神であるワタツミ(綿津見大神)と同一神

南宮稲荷神社

伏見稲荷大社の千本鳥居によく似た、百連鳥居があります。百連の鳥居が色鮮やかで幾何学的な模様を描いています。伏見稲荷大社ほど人が多くないので、こちらのほうがパワースポット感があります。

稲荷神社なので祭神はウカノミタマ(倉稲魂命)だろうと思いきや、ウケモチノカミ(保食神)だそうです。「ウカ」とか「ウケ」は穀物を意味します。伊勢外宮の主祭神であるトヨウケ姫(豊受大神)の「ウケ」も同じ意味です。そのため、これらの神様は同一神として習合しているケースもあるようです。

社名南宮稲荷神社なんぐういなりじんじゃ
祭神保食神うけもちのかみ

南宮大社の小ネタ

恒例のレイラインに関するネタになります。先述の通り、伊吹山→伊富岐神社→南宮大社本殿→拝殿→楼門が一直線になっています。また、元伊勢籠神社→南宮大社→真清田神社という、三ヶ国の一宮神社も一直線になっています。

南宮大社の御朱印

先述の通り、伊富岐神社の御朱印も南宮大社の授与所で入手できます。同じ人が書いてくださったのですが、かなり好きな筆跡です。

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