
香取神宮
Katori-jinjū Shrine
香取神宮に関する予備知識
香取神宮は千葉県北部に鎮座する下総国一宮です。利根川を挟んで対岸に鎮座する鹿島神宮と共に、要石が存在することで知られています。
香取神宮の所在地
香取神宮の祭神
主祭神 | フツヌシ(経津主大神) Futsunushi-no-Ōkami |
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フツヌシ(経津主神)は鹿島神宮の主祭神であるタケミカヅチ(武甕槌神)と共に、藤原家の氏神として知られています。『日本書紀』には登場しますが、『古事記』には登場しません。
香取神宮を主観的に格付け
由緒
あくまで社伝ですので、実際のところは不詳です。ただ、平安自体初期の『古語拾遺』にはフツヌシを「香取神」と記している為、遅くともその時代には存在していたと考えられます。
社格
鹿島神宮と双極を成すだけあって社格も同レベルです。
知名度
知名度では鹿島神宮に若干劣るかもしれません。
アクセス
- 東関東自動車道『佐原香取』IC→車で約5分(参拝者専用駐車場あり)
- JR成田線『佐原』駅→タクシーで10分
スケール
観光
パワー
香取神宮の周辺地域
香取市の地政学
旧佐原市
香取市は佐原市と周辺自治体の合併(2006)により誕生した市です。香取神宮は市の中心部である佐原駅周辺から3kmほど離れた場所にあります。
香取海
古代において、千葉県と茨城県の県境付近(現在の利根川流路や霞ヶ浦も含む)は『香取海』と呼ばれる内海でした。
鹿島神宮の記事で「鹿島の由来はシカ(中臣氏のこと)の領地だったからじゃないか」なんて妄想半分で書きましたが、だとすれば香取海の由来も「シカが取り仕切る海」ではないかと思ったりします。
香取半島?
香取神宮が鎮座する香取地区は佐原駅周辺など他地域と比べて標高が高いです。このことから、香取神宮のあたりは古代から陸地であり、香取海に突き出た半島だったと考えられます。おそらく、香取海を隔てて対岸の鹿島と向かい合わせになっていただろうと推察できます。
下総国
このあたりは旧国名でいうと下総国です。地図で見ると上総国と上下が逆になっているので紛らわしいです。そもそも、北が上なんていうのは現代人の固定観念です。当時は都つまり京都や奈良に近いほうが上とされていました。
いやいや、どう見たって上総より下総のほうが東京に近いから必然的に京都にも近いだろうと思われるかもしれません。しかし、現在の東京と千葉県の境目あたりも古代においては海でした。つまり、現在の房総半島は半島ではなく島であり、三浦半島あたりから船で行くのが一般的であった為、北部(下総)より南部(上総)のほうが近かったわけです。
香取神宮境外
境内は丘の上にあり、それを一般道路が取り囲む形状になっています。佐原駅方向からの道が表参道となっており、入口には赤い鳥居があります。なお、一ノ鳥居は利根川沿いにあるようです。


香取神宮境内
表参道
総門・楼門
表参道を登っていくと赤い綺麗な総門があります。総門の脇には神徳館があり、総門をくぐった先には赤い楼門があります。楼門のほうは国の重要文化財に指定されています。来訪時、私は違う方向から来たせいか楼門のほうを見逃してしまいました(苦笑)


拝殿・本殿
本殿は国の重要文化財に、拝殿も有形文化財に登録されています。黒を基調としつつも、所々に鮮やかな彩色が施されいるのが特徴です。




奥宮周辺
楼門手前の手水舎のあたりから石段を降りて行けば奥宮や要石のある方へ行くことができます。あるいは、赤鳥居付近から表参道を分岐して護国神社を経由して行くこともできます。
奥宮
フツヌシ(経津主神)の荒御魂を祀っており、本殿周辺に比べるとひっそりとしています。鹿島神宮の奥宮と比較しても、こじんまりしています。
護国神社
明治時代以降の国難に殉じた香取地区出身者を祀っています。
要石
鹿島神宮の要石は凹型なのに対し、香取神宮の要石は凸型です。また、鹿島神宮はナマズの頭を抑えているのに対し、香取神宮はナマズの尾を抑えているそうです。



香取神宮の御朱印
