
熊野速玉大社
くまのはやたまたいしゃ
Kumano-Hayatama-Taisha Grand Shrine
熊野速玉大社の予備知識
熊野速玉大社は熊野三山の一角で、市名の由来ともなっています。近くには元宮である『神倉神社』があり、社名の由来となっています。
熊野速玉大社の所在地
速玉大社と神倉神社が徒歩圏内にあります。
速玉大社(新宮)
神倉神社(元宮)
熊野速玉大社の祭神
主祭神 | ハヤタマヲ(速玉大神 / 速玉男命) Hayatama-no-Ōkami / Hayatamanowo-no-mikoto |
---|---|
フスミ(夫須美大神) Fusumi-no-Ōkami |
ハヤタマオは歴史的仮名遣いだと「ハヤタマヲ」になります。「速玉大神」のほうが言いやすいですね。イザナギ(伊弉諾尊)と同一神、もしくはイザナギの息子とされています。
フスミ(夫須美大神)はイザナミ(伊弉冉尊)と同一神、もしくはイザナギの娘とされています。「ムスビ」と呼ばれる場合もありますが、もともと「フスミ」と書いて「ムスビ」に近い発音をしていたと思われます。
熊野速玉大社を主観的に格付け
由緒
正確な年代は不明ですが古墳時代(3-4世紀?)と考えられます。
社格
知名度
私の周りでは、本宮大社や那智大社は知ってるけど速玉大社は知らないという人が多いです。
アクセス
- JR新宮駅→速玉大社まで徒歩約15分
- JR新宮駅→神倉神社まで徒歩約15分
- 神倉神社→速玉大社まで徒歩約15分
スケール
速玉大社・神倉神社を合わせての評価です。
観光
速玉大社・神倉神社を合わせての評価です。ザ・観光地ではありませんが、インスタ映え要素は期待できます。
パワー
速玉大社・神倉神社を合わせての評価です。
熊野速玉大社と神倉神社
そもそも熊野速玉大社自体、もともと神倉神社の場所に鎮座していたものが、第12代景行天皇の時代(4世紀?)、現在の場所に遷座したとされています。なので、神倉神社が「元宮」(げんぐう / もとみや)と呼ばれるのに対して、速玉大社は「新宮」(しんぐう / あらたのみや / にいみや)と呼ばれます。
熊野三山相互リンク
熊野速玉大社は本宮大社や那智大社と共に熊野三山の一角です。熊野古道の構成要素として世界文化遺産にも登録されています。
熊野三山としての立ち位置
他の二社と比べると知名度的には劣りそうです。しかし、三社の中で唯一、市街地の駅から徒歩圏内に位置しています。神倉神社も含めれば、パワースポットとしてもインスタ映え要素も全く見劣りしません。
熊野速玉大社の周辺地域
本宮大社からのアクセス
本宮大社方面からアクセスする場合、車だと国道(R168)経由で1時間かかりません。熊野川沿いの長閑な景観に見慣れた頃、短いトンネルを抜ければ突如として市街地に突入するので、ギャップに驚きます。
小都会新宮
新宮市は人口2万人程度の小都市ですが、その割にはそこそこ栄えています。狭い平野に市街地が集積し、なおかつ熊野地方の中枢都市であることが要因です。熊野地方とは、和歌山県南部から三重県南部にかけての広い地域です。

熊野速玉大社境外
熊野速玉大社は新宮市の市街地、JR新宮駅徒歩圏内、幹線国道(R42)交差点近くに鎮座しています。また、このあたりは町名も新宮です。そもそも『新宮』という地名自体が速玉大社のことを指しています。まさに新宮市のシンボルといえるでしょう。
熊野速玉大社境内
朱色の鳥居が印象的ですが、境内の建造物はほぼ朱色で統一されています。


手力男神社・八咫烏神社
まず、鳥居を潜ってすぐのところに、2柱の神を合祀した境内末社があります。
社名 | 鑰宮手力男神社 Kagi-no-miya Tajikarao-jinja | 境内末社 |
---|---|---|
祭神 | アメノタヂカラオ(天手力男命) | アマテラスを天岩戸から引きずり出して岩を戸隠まで放り投げた怪力の神様 |
社名 | 八咫烏神社 Yatagarasu-jinja | 境内末社 |
---|---|---|
祭神 | カモタケツノミ(賀茂建角身命) | 八咫烏の正体であり、上賀茂神社・下鴨神社の祭神でもある賀茂一族の始祖とされる |

熊野神宝館
さて、少し進むと右手に熊野神宝館という博物舘があります。武蔵坊弁慶像が目印ですが、主に室町時代に奉納された品々が展示されています。
梛の木
また、熊野神宝館の向かい側に、国の天然記念物に指定されている梛の大樹があります。樹齢千年、しかも平重盛(1138-1179)の手植えと伝えられています。

神門
いよいよ神門を潜ります。注連縄の向きは出雲大社と同じです。
本宮大社では神門から先は撮影禁止でしたが、ここではOKみたいです。

拝殿
拝殿や鈴門がズラリと並び、その奥に社殿が並んでいるのですが、それらが1対1に対応しているわけではありません。なので、社殿や祭神との対応付けまで意識すると混乱しやすいです。
参拝順にこだわるのであれば、主祭神を祀っている左端の大きな拝殿から参拝しましょう。要するに、左から右へと覚えておけばOKです。

上四社
まず、第一殿から第四殿まで(参拝順でいえば1から4)を『上四社』と呼びます。
参拝順 | 鈴門配置 | 社殿名 | 祭神《本地仏》 | ||
---|---|---|---|---|---|
1 | 神門正面左手の拝殿 | 第二殿 | 速玉宮 | ハヤタマオ(熊野速玉大神) Kumano-Hayatama-no-Ōkami | イザナギ(伊弉諾尊)と同一神 《薬師如来》 |
第一殿 | 結宮 | フスミ(熊野夫須美大神) Kumano-Fusumi-no-Ōkami | イザナミ(伊弉冉尊)と同一神 《千手観音》 | ||
奥御前三神殿 | アメノミナカヌシ・タカミムスヒ・カムムスヒ | 造化三神と総称 | |||
2 | 1の右隣 | 上三殿 | 第三殿 証誠殿 | ケツミミコ(家津美御子大神) Ketu-mi-Miko-no-Ōkami | スサノオ(素戔嗚尊)と同一神 《阿弥陀如来》 |
クニトコタチ(国常立尊) | 日本列島を形成した龍神 | ||||
3 | 2の右隣 | 第四殿 若宮 | アマテラス(天照大神) | 言わずと知れた太陽神 《十一面観音》 | |
4 | 3の右隣 | 第四殿 神倉宮 | タカクラジ(高倉下命) | 神武天皇に協力した豪族 |
中四社
また、第五殿から第八殿まで(参拝順5)を『中四社』と呼びます。
参拝順 | 鈴門配置 | 社殿名 | 祭神《本地仏》 | ||
---|---|---|---|---|---|
5 | 4の右隣 | 八社殿 | 第五殿 禅児宮 | オシホミミ(忍穂耳命) | アマテラスの息子 《地蔵菩薩》 |
第六殿 聖宮 | ニニギ(瓊々杵尊) | オシホミミの息子 《龍樹菩薩》 | |||
第七殿 児宮 | ヒコホホデミ(彦火火出見尊) | ニニギの息子『山幸彦』 《如意輪観音》 | |||
第八殿 子守宮 | ウガヤフキアエズ(鵜葺草葺不合命) | ヒコホホデミの息子、神武天皇の父 《聖観音》 |
下四社
最後に、第九殿から第十二殿まで(参拝順6)を『下四社』と呼びます。社殿でいえば中四社と共通です。
参拝順 | 鈴門配置 | 社殿名 | 祭神《本地仏》 | ||
---|---|---|---|---|---|
6 | 5の右隣 | 八社殿 | 第九殿 一万宮 | クニサツチ(国狭槌尊) | 土の神 《文殊菩薩》 |
第九殿 十万宮 | トヨクモノ(豊雲野神) | 雲の神 《普賢菩薩》 | |||
第十殿 勧請宮 | ウヒヂニ・スヒヂニ(宇比地邇神・須比智邇神) | 泥土を司る兄妹神 《釈迦如来》 | |||
第十一殿 飛行宮 | オオトノヂ・オオトノベ(意富斗能地神・大斗乃弁神) | 泥土を固めた夫婦神 《不動明王》 | |||
第十二殿 米持宮 | オモダル・アヤカシコネ(淤母陀琉神・阿夜訶志古泥神) | 人体を司る兄妹神 《多聞天》 |
神倉神社
体力と時間に余裕があれば、速玉大社から徒歩15分程度の場所にある元宮『神倉神社』にも立ち寄りましょう。
速玉大社から神倉神社へ
熊野速玉大社から神倉神社までは、歩いて15分ほどです。速玉大社を出て右へ曲がり、寺院や小学校に隣接する道を歩きます。
車の場合、いちおう参拝者用駐車場が2箇所あります。ただ、小学生の通学路にもなっている狭い道を通る必要があります。なので、タクシーを使うか歩いたほうが無難です。
神倉神社の参道
参道(鳥居〜石段前)
小学校校庭の向かい、出雲大社分院のすぐ近くにある神橋を渡れば、神倉神社の境内です。
ただ、ここから先がきついです。なにせ、社殿は神倉山(かんのくらやま)という山の山頂にあり、険しい石段を登っての登山となります。


参道(石段)
石段を登って、御神体であるゴトビキ磐のところまで行くわけですが…
段差が急なだけでなく、手すりもありません。さらに石段もゴツゴツしていて高所恐怖症にはかなりきついです。
もし『恐い神社ランキング』があれば、少なくとも私の経験上ではダントツの一位です。
帰りは下りなのでもっと怖いかと心配してたら、意外とそうでもなかったです。とはいえ、こういう場所での事故は上りより下りのほうが圧倒的に多いので油断は禁物です。
ゴトビキ磐まではもう一つ「女坂」ルートもあります。そちらは比較的登りやすいらしいので、男性でも高所恐怖症ならやせ我慢せずにそっちを使うべきでしょう。
ただ、よく見てないと分岐地点がわかり辛いです。たしか1箇所目の休憩地点あたりだったと記憶していますが、あやふやです。


神倉神社の神域
神倉山展望台
さて、頑張って怖い石段を登りきると、新宮市街を見渡せる展望台に到着します。そこの断崖絶壁みたいなところの真上にゴトビキ磐あります。そして、それを支えるのような格好で社殿が鎮座しています。
ゴトビキ磐
市街の眺めも素晴らしいのですが、やはりゴトビキ磐を間近で見るとその迫力に圧倒されます。なお、ゴトビキというのはこの地域の方言でガマガエルのことだそうです。


天磐盾
先述の通り、ここは神倉山の山頂に相当します。『日本書紀』で神武天皇が登ったと記される『天磐盾』は、この神倉山のことだとされています。
神倉神社の祭神
アマテラスとタカクラジの2柱を祭神としているのですが、いずれも速玉大社第四殿の祭神に相当します。
社名 | 神倉神社 Kamikura-jinja | 熊野速玉大社の境外摂社 |
---|---|---|
祭神 | アマテラス(天照大神) | 言わずと知れた太陽神 |
タカクラジ(高倉下命) | 神武天皇に霊剣『布都御魂』を献上 |
熊野速玉大社の主祭神と天磐盾について考察
速玉=隕石
勘の良い人は気づいていると思いますが、速玉大社の「速玉」は隕石のことで、神倉神社のゴトビキ磐を指していると思われます。
ハヤタマオ=隕石の申し子
ハヤタマオという神様は、日本神話においてイザナギの別名、もしくはその息子とされています。しかし、おそらくは後付けで、本当は古代からこの地域を支配する豪族か王族の呼称と思われます。当時の支配階級の人々は、自分の血統に箔を付けるために「我はあの隕石に乗って天から舞い降りた神の申し子だー」みたいなことを吹聴したことでしょう。
天磐船vs天磐盾
ところで、神社パワスポ巡りが好きな人はご存知かもしれませんが、大阪の交野市にある磐船神社とも共通点があります。
あちらのご神体と祭神は『天磐船』とニギハヤヒ(饒速日命)ですが、こちらは『天磐盾』とハヤタマオ(速玉大神)です。
また、どちらも同じ国道(R168)の起点と終点付近にそれぞれ鎮座しています。ただの偶然でしょうか?
天磐船もゴトビキ磐も隕石の可能性は低いです。しかし、古代人ならそう信じても不思議はないです。崇敬の対象であったことは紛れもない事実でしょう。
熊野速玉大社の御朱印
左は神倉神社、右は速玉大社の御朱印です。双方とも速玉大社の授与所で貰えます。

