
大村神社
Ōmura-jinja Shrine
大村神社の予備知識
大村神社は三重県伊賀地方に鎮座するローカルな神社ですが、地震封じのパワースポットとして近年、全国から注目を集めています。
所在地 | 三重県 | 伊賀市阿保(Ao, Iga city) |
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創建年 | ? | ? |
主祭神 | 大村神(Ōmura-no-Kami) | イコハヤワケ(息速別命, Ikohayawake-no-Mikoto)と同一視される |
社格 | ★★ | 式内小社 / 旧県社 |
知名度 | ★★★ | 『すずめの戸締り』の影響で知名度上昇中 |
アクセス | ★★★ | 近鉄『青山町』駅徒歩20分弱 |
観光 | ★★ | 上記映画の裏聖地として巡礼者が増えるかも |
スケール | ★★★ | |
パワー | ★★★★ | 地震封じならびに家内安全のご利益があるとされる |
大村神社の主祭神
大村神社の説によれば、大村神は4世紀頃の皇族、イコハヤワケ(息速別命)に同一とされます。彼は第11代垂仁天皇の皇子であり、なおかつ伊勢神宮創立者ヤマトヒメ(倭姫命)の弟です。また、日本神話の英雄ヤマトタケル(日本武尊)の叔父でもあります。
大村神社の社名由来
地名の阿保村(Ao-mura)が大村(Ōmura)に転訛したという説があります。その一方、境内が森に覆われているため、大森(Ōmori)から転訛したという説もあります。
大村神社の周辺地域
伊賀市の中心部から少し離れた、青山高原にも程近い、非常に長閑な場所にあります。また、最寄駅の近鉄青山町駅は、大阪方面からの急行列車の終着駅として設定されることが多い駅です。なので、大阪通勤圏の東限というイメージがあります。
大村神社境外
大村神社は小高い丘の上に鎮座し、東側、西側、そして南側の三方向に参道があります。駐車場のある南参道から入る場合が多いでしょう。南参道の鳥居付近からは周囲の街並みを見降ろすことができます。



大村神社境内
本殿・拝殿を取り囲むかのように、巳の大杉や虫喰鐘、それに『要石』などがあります。
虫喰鐘
神社なのに鐘があるのは神仏習合の名残りでしょう。材質の化学変化のせいで虫が喰ったような跡があるので、その名が付いたそうです。
巳の大杉
白い蛇を見かけると幸せになれるという伝承があります。

大村神社の本殿・拝殿
主祭神イコハヤワケ(息速別命)を祀る本殿・拝殿が北向きに鎮座しています。そして欄干には『欄干なまず』というナマズのぬいぐるみが並べてあって、なんだか可愛らしいです。
しかし、主祭神と地震封じの直接的な関連性を示唆するものは見当たりません。由緒書きには、主祭神はこの地域の発展に貢献したとだけ、記載されています。


要石社
拝殿の右手、西隣に『要石』および、それを祀る『要石社』があります。
要石は一部分だけが地表に出ており、地中に埋まっている部分も含めると巨大な岩なのです。そして、それが地下の大ナマズを押さえつけて、暴れないようにしているのだそうです。
外国人の方にとってはあまりピーンと来ないかもしれませんが、大昔の日本人は地下の大ナマズが暴れることで地震が発生すると考えていました。
水かけなまず
要石の手前にあるナマズ像が『水かけなまず』です。これに水をかける(願いをかける)と願いが叶うそうです。


授与所
授与所では『願掛けなまず』をはじめ、絵馬やストラップなど、各種ナマズグッズを入手できます。

大村神社と要石
さて、祭神と地震封じの関係性について、もう少しだけ掘り下げてみましょう。
タケミカヅチとフツヌシ
先述の通り、主祭神であるイコハヤワケ(息速別命)と、ナマズや地震との直接的な関連性は見当たりません。
しかし、配祀神であるタケミカヅチ(武甕槌命)とフツヌシ(経津主神)の2柱が、『要石』と深く関わっています。2柱はそれぞれ、茨城県の鹿島神宮、ならびに千葉県の香取神宮の主祭神です。
この2柱がなんと奈良時代(A.D.768)に現世に現れ、関東から奈良へ行く途中、ここ大村神社に『要石』を置いて行ったと記す文献があります。鹿島神宮と香取神宮も『要石』が置かれていることで有名なので、この2柱がキャスティングされたのは偶然ではなく必然でしょう。
安政伊賀地震
安政伊賀地震は江戸時代(1854)、現在の三重県、とりわけ伊賀市中心部に甚大な被害を及ぼした大地震です。ところが、大村神社が鎮座する阿保地区一帯だけは大きな被害が無かったため、大村神社の神々による加護だとする説が根付いたようです。
なお、先述のタケミカヅチとフツヌシに関する文献は室町時代(15世紀)のものです。なので、要石はこの地震よりはるか昔から存在し、人々に認知されていたことになります。
大村神社の御朱印
直筆で非常に丁寧な筆跡です。なぜか見ていて安心します。
