
元伊勢籠神社
もといせこのじんじゃ
Moto-Ise Kono-jinja Shrine
元伊勢籠神社の予備知識
籠神社は景勝地『天橋立』に隣接する丹後国一宮で、『元伊勢籠神社』とも呼ばれます。奥宮である眞名井神社と共に、古代史ファンに大人気です。
単に「籠神社」だと「この神社」と紛らわしいです。なので、当記事では籠神社と眞名井神社をセットで扱う場合に『元伊勢籠神社』と表記することにします。
元伊勢籠神社の所在地
籠神社
眞名井神社
籠神社から眞名井神社までは200〜300m程度の距離です。
元伊勢籠神社の祭神
籠神社
主祭神 | ホアカリ(彦火明命 / 天火明命) Hiko-Hoakari-no-Mikoto / Ame-no-Hoakari-no-Mikoto | 太陽神・農業神 |
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相殿神 | トヨウケ姫(豊受大神) Toyouke-no-Ōkami | 大地の神・農業神 |
アマテラス(天照大神) Amaretasu-Ōmikami | 太陽神 | |
ワタツミ(海神) Watatsumi | 海の神 | |
ミクマリ(天水分神) Ame-no-Mikumari-no-kami | 灌漑の神 |
主祭神ホアカリには色々な呼び名があるのですが、一般的にはアメノホアカリ(天火明命)と呼ばれることが多いです。また、『古事記』や『日本書紀』に拠れば、ニニギ(瓊瓊杵尊)の兄です。ニニギは神武天皇の曽祖父にあたります。
なお、フルネームはアマテル・クニテル・ヒコ・ホアカリ・クシタマ・ニギハヤヒノミコト(天照国照彦火明櫛玉饒速日尊)という長い名前です。このことから、物部一族の祖神であるニギハヤヒ(饒速日命)と習合していることがわかります。ただし、これは後付けの可能性があります。
また、ホアカリは太陽神でもあります。伊勢内宮の祭神であるアマテラス(天照大神)も太陽神です。このことから、ホアカリは男性神設定だった頃のアマテラス、すなわちアマテル神であるという説もあります。
眞名井神社
祭神 | トヨウケ姫(豊受大神) Toyouke-no-Ōkami | 食物の神 |
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籠神社の境外摂社である眞名井神社の祭神は伊勢外宮の祭神であるトヨウケさん(豊受大神)です。籠神社と眞名井神社には、内宮と外宮の祭神がそれぞれ祀られていることになります。
元伊勢籠神社の社名由来
籠神社
主祭神ホアカリが竹で編んだ籠船に乗って竜宮城へ行ったという伝説から、その名が付いたとされています。
また、「こもる」を漢字で書くと「籠もる」または「籠る」になります。つまり、「籠」という漢字に対して「こ」または「こも」という読みを当てることができるわけです。
眞名井神社
旧約聖書で天の神が地上の人々に恵んだ食べ物を「マナ」(מן)と呼びます。眞名井神社は食物神であるトヨウケ姫(豊受大神)を祀っています。
別称
元伊勢籠神社は『倭姫命世紀』という鎌倉時代の文献に登場する『吉佐宮』の比定地です。『与謝宮』もしくは『匏宮』と表記する場合もあります。
『吉佐宮』は伊勢神宮の創立以前にアマテラス(天照大神)を祀った場所、つまり『元伊勢』です。『元伊勢籠神社』と呼ばれる所以です。
元伊勢籠神社を主観的に格付け
由緒
先述の『倭姫命世紀』が史実であれば、第11代垂仁天皇の時代に『吉佐宮』が存在していたことになります。記紀の年代を額面通りに受け取れば紀元前後ですが、実際は紀元後4世紀頃だと思われます。
社格
知名度
★★☆☆☆
有名観光地に隣接し、なおかつ一宮神社であることを差し引いての評価です。
アクセス
- 天橋立観光船『一の宮』駅すぐ
- 京都丹後鉄道『天橋立』駅下車→天橋立を徒歩で45分程度
スケール
一宮神社としては標準的なスケールだと思います。
観光
有名観光地に隣接するのでボーナス加点しました。
パワー
籠神社・眞名井神社を合わせての評価です。
元伊勢籠神社の宮司家
元伊勢籠神社の宮司を現代まで世襲している海部家は、主祭神ホアカリを始祖とする氏族です。また、古代の尾張国(今の名古屋あたり)を支配した豪族、尾張家は海部家の傍系です。その為か、尾張国一宮である真清田神社の主祭神もホアカリです。
元伊勢籠神社の周辺地域(表参道側)
元伊勢籠神社は日本三景の一つである『天橋立』の北端付近に鎮座しているため、天橋立観光に組み込むことができます。
天橋立
古来より、天橋立自体が籠神社の表参道です。なのでぜひ、南端の智恩寺文殊堂をスタート地点とし、天橋立を経由して参拝してみてほしいです。
天橋立神社
天橋立神社は天橋立の南寄りの地点に鎮座する小さな神社です。文殊堂を守護するために中世(13世紀頃?)に創建されたとされますが、諸説あります。




阿蘇海ルート
天橋立の両端を往来するには、徒歩や自転車以外に船も利用できます。観光船とモーターボートがあり、それぞれ別会社ですが船着場は隣接しています。
北端の船着場は『一の宮』という名前です。勿論、丹後一宮である籠神社のことです。なので、船着場から2〜3分も歩けば籠神社に到着します。
甲板でゆったりとトビやカモメを観察したい場合は観光船、テンション上げたい場合はモーターボートがオススメです。なお、モーターボートの場合は片道だけ自転車を乗り捨てできる割安コースがあります。


籠神社境内
境内参道
鳥居も参道も非常に綺麗に整備されています。ここの茶房で食べたアイスクリームとゆず茶のセットが美味しかったので載せておきます。



狛犬
神門手前に配置されている一対の狛犬が、重要文化財に指定されています。鎌倉時代(14世紀)の意匠ですが、作者の魂が籠っていると云われます。
狛犬は夜な夜な天橋立を歩き回って通行人を脅かしていました。しかし、ある剣豪によって足を斬られたところ、元の石像に戻ったそうです。
本殿エリア
神門から先の本殿エリアは撮影禁止です。
まあでも、都市伝説系のネタで取り沙汰されやすい神社なので仕方ないかもしれません。
本殿・拝殿
本殿の欄干には「青・黄・赤・白・黒」の座玉が飾られています。これらは五行説でいう「木・土・火・金・水」を表しています。ここと伊勢神宮にしか存在しないそうです。
摂社・末社
本殿右手に恵比寿社、左手には天照大神和魂社、春日社、猿田彦社、それに真名井稲荷社がそれぞれ鎮座しています。
倭宿禰命像
また、撮影禁止エリアの端のほう、西門付近にヤマトスクネ(倭宿禰命)の像があります。ヤマトスクネは宮司家である海部一族の4代目に相当します。神武天皇の東征の際、明石海峡あたりから亀に乗って神武天皇を先導したとされています。
ちなみに、浦島太郎伝説もこの地方がルーツです。亀に乗る設定はヤマトスクネの逸話が混じり合ったのかもしれません。
東門・西門
裏門が東と西にありますが、どちらからでも眞名井神社へ行くことができます。それにしても…
なぜ十字架なんだろう
色々と想像を掻き立ててくれます。でも、それがこの神社(籠神社)の最大の魅力と言えます。

籠神社の周辺地域(裏参道側)
眞名井神社
籠神社の東門または西門を出て10分程度歩けば、奥宮である眞名井神社に到着します。
天の眞名井の水
狛犬ならぬ狛龍が鎮座するニノ鳥居を潜れば境内です。その手前に、『天の眞名井』という、湧き水を汲める場所があります。神水とも言われ、色んなご利益があるそうです。
その場で飲んでも良いし、水筒に汲んでも良いのですが、順番には配慮しましょう。それに生水には違いないので、ガブ飲みは控えましょう。


拝殿&磐座
写真の石段の先に拝殿がありますが、ここから先は撮影禁止です。
拝殿の奥に鳥居と磐座が並んでいます。右手側の主座はトヨウケ姫(豊受大神)、左手側の西座はアマテラス(天照大神)を祀っています。
傘松公園
さて、いったん籠神社の西門付近に戻ります。ここから西へ50m足らずのところに、天橋立ケーブルカー&リフトの府中駅があります。そこから傘松公園へ行くことができます。切符はケーブルカー・リフト共通なので、どちらを使ってもOKです。
展望台
ケーブルカー・リフトの傘松駅を降れば有名な展望スポット、傘松公園です。ここはから眺望する天橋立は『昇竜観』もしくは『斜め一文字』と呼ばれます。
冠島・沓島遥拝所
傘松公園の土産物店前のテラスにある遥拝所から、冠島および沓島を遥拝することができます。冠島はオオミズナギドリの繁殖地として知られています。また、籠神社の主祭神であるホアカリ(天火明命)が降臨した地とされています。


成相寺
また、傘松公園から成相寺へ行くためのバスが20分間隔で出ています。成相寺は傘松公園よりもさらに山を登ったところにあり、五重塔もある絶景ポイントです。
元伊勢籠神社の都市伝説
京都府北部の丹後地方は、古代は大陸との交易で栄えた先進地域でした。その中心ともいえる元伊勢籠神社は古代史系都市伝説の宝庫です。
吉佐宮=ヨシュアの宮
元伊勢籠神社は吉佐宮の比定地です。吉佐の語源は旧約聖書に登場する預言者ヨシュア(יְהוֹשֻׁעַ)という説があります。
ダビデの星
元伊勢籠神社の社紋はもともと六芒星でしたが、これがユダヤのシンボルである『ダビデの星』であるという説です。しかし現在、社紋は三つ巴紋に変更されてしまいました。
本来、六芒星は「陽」と「陰」が重なることを意味するそうです。
かぐや姫
童話『かぐや姫』の作者は空海(774-835)であり、ヒロインのモデルは元伊勢籠神社宮司家の娘、厳子姫だという説です。
厳子姫は絶世の美人で、第53代淳和天皇の妃となって眞名井御前と呼ばれたのですが、のちに出家して空海と共に余生を過ごしました。
かごめかごめ
童謡『かごめかごめ』は元伊勢籠神社のことを歌っているという説です。都市伝説というより、先代宮司である海部光彦氏の著書に記されています。本頁では、同氏の説などをベースに、僭越ながら妄想込みの自説を織り交ぜて展開します。
かごめかごめ、籠の中の鳥は、いついつ出やる♪
夜明けの晩に、鶴と亀がすべった♪
後ろの正面、だあれ♫
かごめ=六芒星
かごめは籠の目、つまり先述の六芒星を指しています。
籠の中の鳥=籠神社の祭神
籠神社の現在の主祭神はホアカリです。しかし、ここでは元主祭神であるアマテラスとします。
いついつ出やる=いつ出て来る×いつ出て行った
岩戸隠れ神話のワンシーンを示唆していると思われます。すなわち「岩戸に籠ってしまったアマテラス様はいつお出でましになられるのだろうか?」を意味しています。
それに加え、籠神社にかつてアマテラスが鎮座していたことを懸けていると思われます。「籠神社に祀られていたはずのアマテラスは、いつ違う場所に出て行ってしまったのだろうか?」の意味です。
夜明けの晩=朝の終わり×日食
朝と昼の境目あたりの時間帯か、あるいは日食を指していると考えられます。ここでは、双方を懸けていると解釈します。
鶴と亀=「伊勢と出雲」×「太陽と月」
鶴は伊勢神宮を象徴とした古代ヤマト王権、亀は出雲大社を象徴とした古代出雲王朝を示唆しています。ただし、ここでいう伊勢神宮は「伊勢神宮の本宮」と言われる伊雑宮を指し、出雲大社は「元出雲」と呼ばれる京都府亀岡市の出雲大神宮を指すものと思ってください。
また、鶴と亀はそれぞれ、陽(太陽)と陰(月)の象徴でもあります。ちなみに、伊雑宮は一羽の真鶴を創建由来としているのに対し、出雲大神宮は亀甲紋を社紋としています。
すべった=統一された×重なり合った
鶴と亀が「滑った」ではなく「統べた」、すなわち統合や統治を意味します。まさに、ヤマト王権と出雲王朝が統一されたことを示唆しているのではないでしょうか?
また、陽(太陽)と陰(月)が統合、つまり重なり合うことで日食が発生することを懸けていると思われます。
さらに、陽(△)と陰(▽)が重なれば六芒星になることも付け加えておきます。
後ろの正面=眞名井神社×地球
日食時の月が太陽の方角を見た場合、後ろの正面に位置するのは地球です。眞名井神社の祭神トヨウケ姫は食物神であると同時に大地の神でもあります。なので、眞名井神社を地球になぞらえることができます。
その眞名井神社(地球)から見て朝9時頃の太陽の方角に伊雑宮(太陽)があります。そして、その間に出雲大神宮(月)があります。そう、日食時の配置です。
出雲大神宮(月)から伊雑宮(太陽)の方角を向いた場合、後ろの正面は籠神社と眞名井神社ですが、籠神社のアマテラス(太陽)は既に伊雑宮へ飛び立ってしまったので、残すは眞名井神社(地球)のトヨウケ姫だけです。
だあれ?
眞名井神社の祭神、大地母神トヨウケ姫こと、豊受大神。
伊雑宮との関係
レイライン
先ほどの『かごめかごめ』の話とも絡むのですが、伊雑宮や出雲大神宮との位置関係が面白いです。
籠神社から見て伊雑宮や出雲大神宮は「夜明けの晩」の方角です。
また、籠神社から出雲大神宮までの距離と方角が、三重県亀山市の忍山神社から伊雑宮までの距離と方角にほぼ一致しています。忍山神社はマイナーかもしれませんが、『元伊勢』比定地の一社です。それに出雲大神宮と同様、地名に「亀」がつきますし、近くに愛宕山がある点も共通しています。
付け加えると、籠神社から伊雑宮へのライン上にある舞鶴湾が鶴の形に見えるのが面白いです。まるで籠神社から伊雑宮へ飛び立った鶴を描いているようです。
イザヤとヨシュア
元伊勢籠神社こと吉佐宮はヨシュア(יְהוֹשֻׁעַ)が由来であるのに対し、伊雑宮はイザヤ(ישעיהו)が由来だとする説があります。都市伝説の域を出ない話ですが、興味をそそられますよね。
志摩と浦島
伊雑宮がある志摩半島と、元伊勢籠神社がある丹後半島は形も大きさもよく似ています。先ほど『浦島太郎』伝説はこの辺りが発祥だと述べました。もしかすると、かつて志摩半島が「表のシマ国」、丹後半島が「裏のシマ国」と呼ばれていたのではないでしょうか?
元伊勢籠神社の御朱印
御朱印は籠神社の授与所で入手できます。「籠神社」バージョンのほか、眞名井神社も含めた「元伊勢」バージョンも存在します。御朱印帳もかっこよくて、見開きにサルタヒコが描かれています。




