橿原神宮

橿原神宮

橿原神宮 / かしはらじんぐう
Kashihara-Jingū Shrine
初代天皇即位の地(近代創建)

橿原神宮の予備知識

橿原神宮は奈良県の飛鳥地方、畝傍山の麓に鎮座する大きな神社です。紀元前7世紀に初代天皇である神武天皇が即位した場所とされています。

橿原神宮の所在地

奈良県橿原市久米町934
934 Kume-chō, Kashihara city, Nara pref.

橿原神宮の祭神

日本の初代天皇とその皇后を主祭神として祀っています。

主祭神
第1代神武じんむ天皇
The 1st Emperor Jinmu
第1代皇后媛蹈鞴五十鈴媛ひめたたらいすずひめ
The 1st Empress Hime-Tatara-Isuzuhime

神武天皇の本名はカムヤマトイワレヒコホホデミノスメラミコト(神日本磐余彦火火出見天皇)です。

また、皇后のヒメタタライスズヒメは記紀によれば、出雲系の神であるコトシロヌシ(事代主)もしくはオオモノヌシ(大物主)の娘とされています。

橿原神宮を主観的に格付け

由緒

★★☆☆☆
明治二十三年(1890)創建

意外なことに創建年は近代です。なお、神武天皇即位は記紀の記載通りならB.C.660年です。

社格

★★★★★
旧官幣大社神宮二十四社別表神社勅祭社

最高格クラスです。

知名度

★★★☆☆

ターミナル駅の駅名になっていますが、その割には意外と他の有名寺社仏閣の影に隠れがちな気がします。

アクセス

★★★★☆
  • 近鉄『橿原神宮前』駅→徒歩10分弱
  • 大型駐車場あり(ただし奈良県内の道路事情は微妙)

スケール

★★★★★

巨大な鳥居と相まって、実際の敷地面積以上に広く感じます。

観光

★★★☆☆

ザ・観光地でもないですが、飛鳥観光のついでに寄ると良いでしょう。

パワー

★★★☆☆
開運厄除

橿原神宮の周辺地域

橿原神宮が鎮座する橿原市は奈良県第二の都市ですが、その割に市としての認知度は高くありません。しかし周辺自治体を含めた飛鳥あすか地方には数多くの歴史遺産が存在するため、歴史ファンにとっては人気のエリアです。

近鉄橿原神宮前駅

電車の場合、近鉄電車の橿原神宮前駅で下車するのがデフォルトです。同駅は多方面からの特急列車が停車する一大ターミナル駅です。ここから橿原神宮の第一鳥居まで歩いて10分もかかりません。

また、各駅停車であれば一駅隣の橿原神宮西口で下車するのもオススメです。

畝傍山

畝傍山うねびやまは橿原神宮の北隣に位置する小さな山(199m)です。しかしだからといって油断は禁物、上まで行くのは普通に登山です。

太古の昔は火山だったらしく、「畝火山」と表記される場合もあったそうです。たしかに、平野部にポツンと山が存在するのって、噴火による隆起以外に原因が考えにくいですね。

畝傍山山頂

期待していたほどの絶景ポイントでもありませんでしたが、それなりに達成感は得られます。

大阪の住吉大社では、『埴使はにつかい』もしくは『埴土はにつち』と呼ばれる行事が代々受け継がれています。祭祀で用いる土器を作成するために畝傍山山頂の土を採取するのだそうです。

畝火山口神社

畝傍山の西側登山口に『畝火山口神社うねびやまぐちじんじゃ』があります。畝傍山の山頂に鎮座していた時代もあったようですが、昭和時代(1940)に今の場所へ遷されました。

橿原神宮周辺の古墳群

橿原神宮の周辺、というより畝傍山の周辺には、大小いくつかの古墳が点在するので、主なものを紹介します。

古墳名の表記に関して、政治的な意図は一切無いので予めご了承願います

畝傍山西南御陰井上陵(安寧天皇陵)

まず、『畝傍山西南御陰井上陵』(うねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎ)から。その名の通り畝傍山の西南にあります。欠史八代の一人、第3代安寧あんねい天皇(紀元前6世紀?)の陵墓とされます。なお、私が訪問した際は工事中でした。

畝傍山南纖沙溪上陵(懿德天皇陵)

次に、『畝傍山南纖沙溪上陵』(うねびやまのみなみのまなごのたにのえのみささぎ)。その名の通り畝傍山の南にあります。欠史八代の一人、第4代懿徳いとく天皇(紀元前5-6世紀?)の陵墓とされています。

四条ミサンザイ古墳(神武天皇畝傍山東北陵)

そして、四条ミサンザイこと『畝傍山東北陵』(うねびやまのうしとらのみささぎ)。橿原神宮参拝時には是非、ここにも立ち寄ってほしいです。なぜなら、ここは橿原神宮の主祭神である第1代神武じんむ天皇の陵墓とされている為です。

ちなみに、ミサンザイというのは古い日本語で、貴人のお墓という意味だそうです。「御陵」と書いて「ミササギ」と読む場合がありますが、おそらく「ミサンザイ」が転訛したと思われます。

私が訪問したのは建国記念日の2月11日です。人でごった返してるかと思いきや、意外とそうでもなかったです。

塚根山古墳(綏靖天皇桃花鳥田丘上陵)

塚根山古墳こと『桃花鳥田丘上陵』(つきだのおかえのみささぎ)は、四条ミサンザイの北隣にあります。欠史八代の一人、第2代綏靖すいぜい天皇(紀元前6-7世紀?)の陵墓とされています。実は幕末頃(19世紀)まで、神武天皇の陵墓の比定地の一つでもありました。

橿原神宮境内

表参道(第一鳥居〜第二鳥居)

鳥居の大きさと参道の広さは全国でも指折りクラスです。

深田池周辺

第二鳥居を潜ると、左手に深田池が広がり、右手に南神門があります。

深田池

深田池ふかだいけ』は飛鳥時代(6-7世紀頃)に造成されたとされる広大な池です。カモをはじめ多くの水鳥を観察することができます。余談ですが、最近では京阪神の平野部でもオオバンを多く見かけるようになりました。

長山稲荷社

深田池のほとりに佇む『長山稲荷社』は、橿原神宮創建以前からここに鎮座していたそうです。

社名長山稲荷社ながやまいなりしゃ橿原神宮の境内末社
祭神ウカノミタマ(宇迦能御魂神)稲荷神社の祭神かつ穀物神
トヨウケ(豊受気神)伊勢外宮の祭神かつ五穀豊穣の大地母神
オオミヤノメ(大宮能売神)ウカノミタマに仕える巫女を神格化した宮廷の女神

南神門

さて、深田池の水鳥たちに見飽きたら、池の向かい側にある南神門のほうへと向かいましょう。

拝殿周辺

神門を潜れば、大きな拝殿が左手に見えます。その背後にそびえ立つ畝傍山が見事にコントラストを放っています。

拝殿

拝殿には外拝殿げはいでん内拝殿ないはいでんがありますが、写真に映っているのは外拝殿です。内拝殿はその奥にあります。いずれも昭和時代(1939)に建造されたものです。

北参道(北神門〜北の鳥居)

拝殿に向かって右手に北神門があります。そこから北参道を経て、先に紹介した畝傍山登山口や神武天皇陵へ行くことができます。

橿原神宮創建に関する考察

先述の通り、橿原神宮の創建は明治時代です。なぜ近代になって、ここが神武天皇即位の地とされ大神宮が創建されたのか、少しだけ堀り下げてみましょう。

予め断っておくと、私は万世一系否定論者ではないですし、ここが即位の地である可能性を否定したいのではありません。ただ、他の可能性を検証してみるのも、それはそれで面白いのではないかと思った次第です。

神武天皇即位の地とされる理由

この場所が即位の地とされた根拠についてですが、それは『古事記』や『日本書紀』など奈良時代(8世紀)の古文書に、神武天皇が『橿原宮』で即位したと記載されているからです。

しかし、その『橿原宮』の正確な場所は不明なのです。現在の橿原神宮が鎮座するこの場所は、数ある比定地の一つに過ぎません。比定地に加えられたのは江戸時代末期(19世紀)頃で、『橿原宮』は畝傍山の東南にあるという『日本書紀』の記述を根拠としています。実際のところ、畝傍山からの具体的距離は書かれていませんし、方角の書き間違いだって有り得るのです。

そもそも橿原市に「橿原」という町名が存在しません。なんとなく市名の影が薄いのも、それが理由かもしれません。

なお、『橿原宮』は『白檮原宮かしはらのみや』と表記される場合もあります。

近代創建の理由

では、なぜ19世紀という近代に入って、突然思い出したみたいに「橿原宮の復活」とでもいうべき、大神宮を建立しようとしたのでしょうか。

それは当時の時代背景により、皇室の権威を高める必要があった為だと考えられています。つまり、初代天皇即位の地を立派なものにしないといけなかったわけです。そこが本当に天皇即位の地かどうかは二の次です。

飛鳥地方のシンボルとして

でもぶっちゃけ、本当に即位の地かどうかなんて、現代人にとってはどうでもいい問題です。そんなことを言い出したら、世界中の有名な史跡の数々だって大半は疑わしいもです。

経緯がどうであれ、古都飛鳥のランドマークとでもいうべき立派な宮殿が明治の時代に再現されたことは、それはそれで重要な歴史の一コマだと言えるでしょう。

奈良県といえば、奈良市の奈良公園周辺ばかりが注目されがちです。しかし、橿原神宮を中心としたこのエリアにも、もっとスポットライトが当たっても良さそうな気がします。

橿原神宮の御朱印

『古事記』や『日本書紀』に記載される年代を、現在の暦であるグレゴリオ暦に置き換えれば、神武天皇の即位年は紀元前660年2月11日です。

ただしこれに関しては、大昔は半年を1年カウントしてただの、数字を盛ってるだの、いろんな説があります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA