伊勢神宮[外宮](豊受大神宮)

伊勢神宮[外宮](豊受大神宮)

伊勢神宮[外宮](豊受大神宮)
いせじんぐう[げくう](とようけだいじんぐう)
Ise-Jingū Grand Shrine [Gekū] <Toyouke-Daijingū>
神社界最高峰の二連星

外宮に関する予備知識

伊勢神宮は全国数多ある神社の総本社ですが、外宮げくう内宮ないくうに分かれています。内宮よりも先に外宮を参拝するのが一般的です。

外宮の所在地

三重県伊勢市豊川町279
279 Toyokawa-chō, Ise city, Mie Pref.

外宮の祭神

トヨウケ姫は大地母神、あるいは世界の創生神とする説もあります。しかし、一般的にはアマテラスの従者的な扱いです。

主祭神
トヨウケ姫(豊受大神)
Toyouke-no-Ōkami

外宮の位置付け

正式名称『豊受大神宮』

伊勢神宮というのは通称名で、正式名称は『神宮』です。外宮の正式名称が『豊受大神宮』、内宮の正式名称は『皇大神宮』です。

伊勢七社相互リンク

外宮と内宮を正宮しょうぐうと呼ぶ場合があります。また、正宮以外に、別宮べつぐうが存在します。

このうち、月夜見宮は外宮の別宮ですが、月讀宮、倭姫宮、伊雑宮、瀧原宮は内宮の別宮という位置付けです。月夜見宮は外宮の徒歩圏内にあります。

外宮の別宮は計4社

社地の数という意味では、外宮の別宮は域外別宮である月夜見宮の1箇所だけです。しかし、社殿の数という意味では異なります。なぜなら、外宮の域内にも『風宮』『土宮』『多賀宮』という域内別宮が3社、存在する為です。なお、月夜見宮には『月夜見宮』1社しかありません。

したがって、社殿の数という意味において、外宮の別宮は計4社です。

外宮を主観的に格付け

由緒

★★★★★
雄略天皇二十二年創建(実年代不詳)

第21代雄略ゆうりゃく天皇は5世紀頃の人だろうと考えられています。内宮の創建年が3〜4世紀頃だとすれば、100年以上の開きがあります。

創建の経緯については、雄略天皇が夢の中で、アマテラスから神託を受けたことによります。トヨウケ姫を丹波(当時の丹波は丹後を含む)から伊勢に呼んでほしいという神託です。

ただ、この話の出処は平安時代に外宮の宮司によって編纂された書物なので、後付けかもしれません。

社格

★★★★★
式内大社正宮神宮二十四社

別格中の別格です。

知名度

★★★★★

アクセス

★★★★★
  • JR・近鉄『伊勢市』駅徒歩5分

スケール

★★★★★

観光

★★★★☆

パワー

★★★★☆
農業漁業ビジネス成功

外宮域外

伊勢市駅

伊勢市いせし駅は近鉄とJRの共同駅です。駅前ロータリーの鳥居を起点に、ここから外宮まで参道が伸びています。

外宮域外参道

伊勢市駅から5分も歩けば外宮に到着します。伊勢市駅や、隣の宇治山田うじやまだ駅界隈は伊勢市の中心街なので、時間を潰すのには困らないでしょう。

外宮域内

一般的には内宮よりも先に外宮を参拝する人が多いでしょうが、初めて訪問した人はそのスケール感というか別格感に圧倒されるのではないかと思います。

これって神社か?城じゃね?

外宮域内参道(火除橋〜正宮)

正宮

正宮しょうぐうとは、普通の神社でいう本殿みたいなものです。

超有名神社だけあって、いつも人が多いです。なお、写真の鳥居から先は撮影禁止です。また、正宮では賽銭を投じる必要は無いそうです。

みんながやってるからついつい投げてしまうんだけど
社名・社格
豊受大神宮
Toyouke-Dai-Jingū
正宮
祭神
地母神トヨウケ姫(豊受大神)
世界の創生神とする説も

多賀宮

正宮の向かい側に『土宮』『風宮』『多賀宮』という域内別宮が3社、鎮座しています。まず、坂の上にある多賀宮から参拝します。

毎度のことで恐縮ですが、「◯◯の荒御魂あらみたま」をソシャゲっぽく表現すれば「覚醒◯◯」のような意味です。

社名・社格
多賀宮
Taka-no-miya
豊受大神宮の別宮
祭神
トヨウケ姫の荒御霊(豊受大御神荒魂)
Toyouke-no-Ōmikami-no-Aratama

土宮

次に、坂を降りた正面にある土宮を参拝します。

ツチミオヤはその名の通り、土地の神です。サルタヒコ(猿田彦大神)と同一神扱いされる場合もあります。

社名
土宮
Tsuchi-no-miya
豊受大神宮の別宮
祭神
土の神ツチミオヤ(大槌御祖神)
Ōtsuchi-mioya-no-Kami

風宮

最後に、土宮の向かい側にある風宮を参拝します。

社名
風宮
Kaze-no-miya
豊受大神宮の別宮
祭神
風の神シナツヒコ(級長津彦命)
Shinatuhiko-no-mikoto

シナツヒコ(級長津彦命)はイザナギとイザナミの間に生まれた子神で、シナトベ(級長戸辺命)とも呼ばれます。

伊勢神宮に関する雑学

さて、ここでちょっとした豆知識です。

むかし相方と不仲だった?

まず、かつて外宮と内宮が不仲だった?という話に触れておきます。

市名について

伊勢市という市名は昭和30年(1955)の市町村合併時に旧国名の伊勢から取ったものです。実際ここに伊勢神宮があるわけだから、違和感は無いでしょう。

しかし、それ以前の市名は宇治山田うじやまだでした。これは明治22年(1889)における、宇治と山田の合併によるものです。内宮の周辺が宇治で、外宮の周辺が山田です。

宇治vs山田

内宮の宇治と外宮の山田、いずれも門前町の自治都市として栄えました。実は鎌倉時代から戦国時代くらいにかけて(15世紀初頭-16世紀末頃)両者は対立構図にありました。原因は双方の商業利権によるもので、何度か紛争にまで発展したこともあるようです。

太陽神vs大地母神

その頃、神道の一派として『伊勢神道』という宗派がありました。外宮の祭神であるトヨウケは大地母神、すなわち世界創生の神なので、内宮の祭神である太陽神アマテラスより偉いという、外宮の山田にとって好都合な思想です。

現代では内宮のほうが格上というイメージがありますが、理由は色々考えられます。外宮の方が駅や市街地に近いので身近に感じられる反面、少し奥まった場所にある内宮のほうがより尊く感じるのかもしれません。また、トヨウケがアマテラスの従者キャラとして描かることが多いことも理由でしょうか。

そもそも従者というキャラ設定はどこから来たんだろ?

キャラ設定にせよ駅の場所にせよ、少なからず政治的意図が働いているように思えてしまうのは深読みしすぎでしょうか?

もちろん今では対立構図なんて存在しませんが、かつてはそういうこともあったのか程度に知っておいて損は無いでしょう。このテーマは若干タブー視されてる感があり、教科書には多分掲載されていないはずです。三重県のHPにもう少しだけ詳しい話が載っています。

式年遷宮

式年遷宮しきねんせんぐうは20年に一度、社殿や橋などを域内の別の場所に建て替える行事です。今から約1300年以上前の飛鳥時代からずっと続いています。なお、外宮や内宮だけでなく、別宮や所管社も対象です。また、旧社殿の跡地は古殿地と呼ばれ、新社殿に隣接している場合が多いです。

かつて、外宮と内宮の式年遷宮は違う年に行われていましたが、桃山時代(1585)以降は同じ年に統一されました。式年遷宮の発案者は第40代天武てんむ天皇(?-686)といわれています。目的は景気対策や建物の老朽化対策、天皇の権威誇示等、諸説あります。

外宮の御朱印

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