
月讀宮
Tsukiyomi-no-miya Shrine
月読宮の予備知識
月讀宮は伊勢神宮の別宮です。同じ読み方の別宮がもう一社存在しますが、こちらは内宮の別宮で、「げつどくさん」の愛称で呼ばれます。
伊勢七社相互リンク
月讀宮の所在地
月讀宮の祭神
主祭神 | ツキヨミ(月読尊) Tukiyomi-no-mikoto |
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アマテラス・スサノオと並ぶ三貴神の1柱で、その名の通り月の神様ですが、農業神でもあります。
月讀宮を主観的に格付け
由緒
平安時代(804)に存在していたことは確実。
社格
知名度
アクセス
- 近鉄『五十鈴川』駅→徒歩10分
スケール
観光
パワー
月讀宮の周辺地域
近鉄五十鈴川駅
月讀宮は近鉄五十鈴川駅の近くにあります。伊勢市の中心部から2km程度離れています。この駅は急行列車や一部の特急列車が停車し、しかも内宮行きのバスも発着します。ただ、周辺は普通の住宅地なので、あまり時間を潰せるような場所はありません。
ちょっと坂道がきついですが、ここから内宮まで歩いて行こうと思えば行けます。私は歩くのが大好きなので、内宮まで歩いて行こうとして偶然、月讀宮を知りました。
へぇ〜伊勢神宮て外宮と内宮だけちゃうんか…
そう、このとき初めて別宮の存在を知ったのです。
上田神社
月讀宮の隣接地、月讀宮から少しだけ坂道を登ったあたりに、もう一つの神社があります。
『上田神社』という、スサノオ(素戔嗚尊)を祀る神社です。天孫系の神社群に挟まれた出雲系という、異色な存在です。
社名 | 上田神社 Ueda-jinja Shrine | |
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祭神 | スサノオ(素戔嗚尊) | アマテラスの弟神 |
オオヤマツミ(大山祇神) | 山の神 | |
菅原道真 Sugawara-no-Michizane | 平安時代の政治家、学問の神 |


月讀宮域内
月讀宮は、内宮へと向かう2本の幹線道路に挟まれた場所にあります。そのため、県道(御幸道路)側と、国道(R23)側、それぞれに鳥居があります。


月読宮・月読荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈弥宮
鳥居を潜って域内を進んで行きましょう。少し開けた場所に4つの社殿がズラリと建ち並んでいるのが見えてきます。向かって左から
4-伊佐奈弥宮 3-伊佐奈岐宮 1-月読宮 2-月読荒御魂宮
という配置になっています。数字は現地の立て札にも記されている参拝順です。
べつにこの順番に参拝しないからどうってことは無い(知らんけど)
ちなみに、5箇所ある別宮社地の中で、社殿が複数存在するのはここと瀧原宮だけです。

参拝順 | 配置 | 社名 | 祭神 | 社格 |
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1 | 中央右 | 月読宮 Tsukiyomi-no-Miya | ツキヨミ(月読命) | 式内大社皇大神宮の別宮 |
2 | 右端 | 月読荒御魂宮 Tsukiyomi-no-Aramitama-no-Miya | ツキヨミの荒ぶる御霊 | 式内大社皇大神宮の別宮 |
3 | 中央左 | 伊佐奈岐宮 Izanagi-no-Miya | イザナギ(伊奘諾尊) | 式内大社皇大神宮の別宮 |
4 | 左端 | 伊佐奈弥宮 Izanami-no-Miya | イザナミ(伊弉冊尊) | 式内大社皇大神宮の別宮 |

葦原神社
国道側の鳥居付近に、末社の葦原神社が鎮座しています。いちおう、内宮の末社という位置付けです。
社名 | 葦原神社 Ashihara-jinja | 式内小社皇大神宮の末社 |
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祭神 | ササツヒコ(佐佐津比古命) | この地域の土着神? |
ウカノミタマ(宇加乃御玉御祖命) | 稲荷神社の祭神、五穀豊穣の神 | |
イカリヒメ(伊加利比賣命) | 稲刈りの神 |

ツキヨミに関係しそうな雑学ネタ
うーーーん、ツキヨミの出番が無い問題は『月夜見宮』の頁で既に触れたし、何か書くネタが無いものか…
表記の問題
カタカナ表記がツキヨミだったりツクヨミだったりするのは、おそらく「キ」の発音が時代や地域によって「ク」に近かった為でしょう。一方で漢字表記が月讀だったり月読だったりするのは、正式表記は前者だけど簡略化していいよという讀●新聞みたいなものですね。
実際、本項でも統一されていないわけで
ツキヨミと暦
どうせなら月に因んで、暦の話でもしておきましょう。
太陰暦
月の満ち欠けの周期はおよそ29.5日で、太陰暦ではこれを1ヶ月と定義していました。端数をどう処理したかというと、29日しかない月と30日を有する月をそれぞれ交互に設定したわけです。
しかし、そうすると1年が 29*6 + 30*6 = 354日 しかなく、公転周期である365.24日に対して11.24日足りません。なので、3年経過すれば、季節が1ヶ月分、ズレてしまいます。
太陰太陽暦
そこで太陰暦をバージョンUPした太陰太陽暦の登場です。閏月を挿入、つまり3年に1回だけ、1年を13ヶ月とすることで、季節のズレを調整しました。日本では6世紀頃から明治3年(1870)まで太陰太陽暦が使われていました。
農業神ツキヨミ
なお、現代でも太陰太陽暦を「旧暦」と呼んで、農業関連で使われることがあります。なぜ農業かというと、月の満ち欠けが生物の生体反応と密接に関係しているからです。
兎も角、ツキヨミが農業神でもある理由について何となく理解していただけたかと思います。
伊勢暦
ちなみに、江戸時代には伊勢神宮近辺の暦職人が『伊勢暦』という太陰太陽暦のカレンダーを発行していたそうです。やはり当時から、伊勢では太陽神アマテラスと同様に、月神であるツキヨミも尊重されていたのでしょう。
御朱印
