
花窟神社
Hana-no-iwaya-jinja Shrine
花窟神社の予備知識
花窟神社は三重県熊野市の沿岸部に鎮座する神社です。日本最古の神社と云われ、熊野古道の一要素として世界遺産にも登録されています。
花窟神社の社名
表記について
表記に関しては『花の窟神社』と『花窟神社』と2パターンがあるようです。公式サイトでは、末尾に「神社」を付けない場合は前者、付ける場合は後者になっているので、当サイトもそれに合わせます。特にどちらが正解というわけではありません。
由来について
窟というのは岩盤にぽっかりと空いた穴のことで、御神体の写真をご覧いただければ意味をお察しいただけるかと思います。
頭に「花」を付ける理由は、増基(10世紀頃?)という仏教僧兼歌人が花を供えたことに由来するそうです。しかし、増基が遺した紀行文『いほぬし』には、お経を納めたことは記されているものの、花を供えたことは記されていません。しかも、「はなのいわや」とひらがなで表記されているようです。
もともと「はな」は「端」と書いて、物事の末端や突出した部分のことを指す言葉です。海岸にせり出した窟という意味で「はなのいわや」と表現したのが、後世になって「花の窟」と解釈されたのではないかと思います。
花窟神社の所在地
花窟神社の祭神
主祭神 | イザナミノミコト(伊弉冉尊) Izanami-no-mikoto |
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カグツチ(軻遇突智尊) Kagutsuchi-no-mikoto |
イザナミ(伊弉冉尊)は言わずと知れた国生み神話の母神のほうですね。火の神であるカグツチ(軻遇突智尊)を出産したときに大火傷を負って亡くなり、ここ花窟神社に葬られたと『日本書紀』に記されています。
イザナミだけでなく、それを黄泉の国へ追いやった神様も主祭神としているところが何ともユニークだなと思います。
花窟神社を主観的に格付け
由緒
いちおう、現地には日本最古の神社と書かれています。ただ、最古の神社を自称する神社は他にもたくさんあります。
花窟神社を最古とする根拠は、おそらくイザナミ(伊弉冉尊)が葬られた時を神社の創建年と定義しているからでしょう。あくまで神話だと言ってしまえばそれまでですが、そのモチーフとなるような出来事が遠い昔にこの地で起こったのは事実なのでしょう。
社格
意外に思われるかもしれませんが、平安時代から近代に至るまで、社格は与えられていないようです。神社というよりは墓所のような扱いだったのかもしれません。
知名度
世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一要素として、熊野三山とともに花窟神社も登録されています。まあ、神社そのものの知名度はそこまで高くないでしょう。
アクセス
- 国道(R42)道の駅『熊野·花の窟 』に併設
- JR『熊野市』駅→三交バス(新宮方面または新町方面行き)乗車5分→『花の窟』バス停下車すぐ
熊野古道関係の寺社仏閣の中では、比較的アクセスしやすいほうです。
スケール
境内は広くはありませんが、ラシュモア山を連想させる御神体のせいでスケール感が増します。
観光
鬼ヶ城とセットで観光しましょう。
パワー
パワースポット的な要素を求めるならオススメです。
花窟神社の周辺地域
熊野市の地政学
熊野市は三重県南部の小都市で、和歌山県や奈良県との県境を有します。
熊野国
『熊野』という地名はもともと、和歌山県南部から三重県南部にかけての広い範囲である『熊野地方』を指します。そのシンボルと言えるのが熊野本宮大社、熊野速玉大社、そして熊野那智大社から成る熊野三山です。
飛鳥時代よりも以前、上古の昔は『熊野国』という半ば独立した地域であったと考えられていますが、確固たる文献は存在しないようです。
僭称市名?
熊野市は昭和二十九年(1954)に幾つかの町村が合併して誕生した市で、特にピンポイントで「熊野」という地名があるわけではなく、熊野三山のいずれかが鎮座しているわけでもありません。その為、周辺自治体からは僭称市名との批判もあったようです。
しかし、ここ花窟神社は熊野三山の源流だという説もあるようです。もしそうだとすれば、この辺りが熊野国発祥の地である可能性もあり、あながち僭称とは言い切れないかもしれません。
三重?和歌山?
ここ熊野市に関して言えば、現代の行政区分は三重県ですが、飛鳥時代から近世までの行政区分でいえば紀伊国(現・和歌山県)です。しかし、熊野地方は紀伊国と伊勢国(現・三重県)との間で何度も線引きの変更が行われており、やはり伊勢国だった時代もあるようです。
実際のところ、現代でも熊野地方自体が独自の文化や生活圏を有する地域だと言えます。一つの県として独立するだけの人口や経済力が無いので、2つに分けて和歌山県と三重県がそれぞれ管轄しているに過ぎません。
七里御浜
七里御浜は熊野市から新宮市にかけての20km以上に及ぶ海岸です。砂礫海岸としては日本一長い海岸です。また、この海岸自体が熊野古道伊勢路の一部となっています。
それにしても、太平洋だけあって、迫力があります。

獅子巌
花窟神社から北へ500mほど進んだ、すき家の向かい辺りの海岸に獅子巌があります。ちょうどここが七里御浜の北端にあたります。
私はこれまで花窟神社には3回行ったことがあるのですが、獅子巌は3回ともスルーしてしまいました。しかしGoogleマップで見てみると、確かにライオンの横顔に見えます。男鹿半島のゴジラ岩にしてもそうですが、大自然の力に感動しつつも、色々と疑ってしまうのは私の悪い癖です(笑)
鬼ヶ城
花窟神社を参拝する際は忘れずに鬼ヶ城にも立ち寄ってほしいです。花窟神社から見て、国道沿いに北へ2kmほど先のトンネルをくぐって右折した先に鬼ヶ城センターと大型駐車場があります。
穴場的観光地
観光地としての知名度はそこまで高くないのであまり期待していませんでしたが、実際に行って見ると想像以上に迫力がありました。先に紹介した獅子巌とともに、熊野古道の一要素として世界遺産に登録されています。
ハナの窟?
熊野灘の荒波によって削られた岩盤が地殻変動の隆起によって出来上がったもの…だそうです。リアス式海岸の出っ張り部分、つまり「ハナ」に沿って1.2kmほど、写真のような風景が続きます。
そんな気がしてきました。「ハナの窟の近くにある神社」が転じて「花窟神社」になったのかなという気がします。
ちなみに、鬼ヶ城を境に北は志摩半島へと連なるリアス式海岸で、南は砂礫海岸である七里御浜です。境目という意味においても、ここは「ハナ」だと言えます。
なお、入口付近の『千畳敷』から20分ほど進めば七里御浜方面へ抜けることができます。終端あたりにも『波切不動』など見所はそれなりにあるのですが、如何せん段差が多くて結構しんどいので、時間と体力に余裕がなければ途中で引き返したほうが無難です。



花窟神社境内
鬼ヶ城の話が長くなってしまったので、そろそろ本題の花窟神社を案内します。先述の通り、道の駅『熊野花の窟』が併設されているので、迷うことはないはずです。
参道
道の駅から道路一本渡れば境内です。日本最古と世界遺産アピールが盛んです。私も初訪問時は道の駅のついでにたまたま立ち寄ったのですが、へ〜こんなところにと思いました。


御神体
参籠殿をくぐれば、正面に御神体が視界に飛び込んできます。たしかに、人の顔に見えます!
イザナギとイザナミでしょうか? 仲良く寄り添っているように見えますね。

お綱掛け神事
御神体に綱が吊り下げられていますよね。この綱は『お綱掛け神事』という年2回の祭事で使用される綱らしいです。綱は7本の縄を束ねて作られており、なぜ7本かというと、風・海・木・草・火・土・水というイザナミが産んだ7柱の元素神に対応しているのだとか。
参拝方法
ここ花窟神社には本殿も拝殿もありません。御神体の至近距離で直接拝む形式です。ブロックで囲まれたエリアが参拝所で、2箇所あります。2箇所とも、御神体の前では靴を脱ぐ必要があります。
ところで、2021年9月に御神体の岩盤の一部が崩落するという出来事がありました。あいにく、それ以前の写真が残っていないのですが、おそらく左写真の窪み部分のことだと思います。参拝時間帯でなかったので事故に至らなかったのは何よりです。滅多にあることではないでしょうが、上の方もよく見て、何か異常に気づいたらすぐに知らせたほうが良いですね。

おまけ
カナヘビ氏
参道の岩にトカゲらしき生物を発見しました。調べてみると、トカゲではなくカナヘビぽいです。普段あまり目にしない生物を見ると、パワースポット感が増しますね。

花窟神社の御朱印
世界遺産アピールは怠りません。熊野灘の荒波に咲き誇る花という感じがします。
