鹿児島神宮

鹿児島神宮

鹿児島神宮 / かごしまじんぐう
Kagoshima-Jingu Shrine
属性がちょっとややこしい八幡神宮

鹿児島神宮に関する予備知識

鹿児島神宮は全国で24社ある『神宮』の一社で、大隅国一宮でもあります。『高千穂の宮』の跡地であり、かつ八幡神降臨の地ともいわれます。

鹿児島神宮の所在地

鹿児島県霧島市隼人町内2496-1
2496-1 Uchi, Hayato-chō, Kirishima city, Kagoshima Pref.

鹿児島神宮の祭神

主祭神
ヒコホホデミ(彦火火出見尊)
Hiko-Hohdemi-no-mikoto
ホオリ(火遠理命)や山幸彦と同一神
トヨタマヒメ(豊玉姫尊)
Toyotama-Hime-no-mikoto
ワタツミ(綿津見神)の娘、ヒコホホデミの妻
相殿神
タラシナカツヒコ(帯中津日子命)
第14代仲哀天皇と同一人物
オキナガタラシヒメ(息長帯比売命)
仲哀天皇の皇后(神功皇后)と同一人物
ホムダワケ(品陀和気命)
Homdawake-no-mikoto
第15代応神天皇と同一人物、八幡神と習合
ナカツヒメ(仲姫命)
応神天皇の皇后

主祭神ヒコホホデミ(彦火火出見尊)のフルネームは天津日高日子穂穂手見命アマツヒダカヒコホホデミノミコトという長い名前です。初代天皇である神武天皇の祖父にあたる皇祖神です。

一方、配祀神4柱は第15代応神天皇とその両親と妻です。これは、ここがかつて八幡神はちまんしんを祀る場所であったことに加え、八幡神と応神天皇が習合していることに因みます。

鹿児島神宮を主観的に格付け

由緒

★★★★★
創建年:神代

主祭神の孫であり、初代天皇である神武じんむ天皇が、祖父の宮殿である『高千穂たかちほの宮』の跡地に建立したものとされています。

また、欽明きんめい天皇五年(544)に、八幡神はちまんしんがこの地に垂迹すいじゃくした(現世に仮の姿で降臨すること)と伝わっています。

社格

★★★★★
式内大社大隅国一宮旧官幣大社神宮二十四社別表神社

知名度

★★★☆☆

社格の割に全国的な知名度はそこまで高くないでしょう。

アクセス

★★★☆☆
  • JR隼人駅→徒歩20分程度
  • 大型駐車場あり

スケール

★★★☆☆

まあ、一般的な一宮神社の規模と言えるでしょう。

観光

★★☆☆☆

車で霧島神宮とセットで参拝することをお勧めします。

パワー

★★★★☆
若返り安産縁結び

鹿児島神宮の周辺地域

霧島市の地政学

薩摩と大隅の国境

霧島市は、隼人はやと町と国分こくぶ市が合併してできた市です。『国分』は国境という意味です。文字通り、旧国でいうところの薩摩さつま国と大隅おおすみ国の国境に位置します。

霧島連山と桜島の中間地点

霧島市の市街地は霧島きりしま連山の麓に位置し、海の向こうの桜島さくらじまとの中間地点に位置します。

また、鹿児島神宮と並んで神宮号を拝する霧島神宮も同市内にあります。霧島神宮は霧島連山に対する崇拝、鹿児島神宮は桜島に対する崇拝がルーツだという説もあります。

ちなみに、『鹿児島』の由来は「カグツチ(火之迦具土神ひのかぐつちのかみ)の島」であるという説があります。カグツチは火の神なので、要するに「火山の島」というニュアンスです。まさに桜島のことでしょう。ただし、あくまで一説です。

鹿児島神宮境外

JR隼人駅から10分も歩けば、大きさ交差点の左手に大鳥居が見えてきます。駐車場はこの先、二の鳥居の近くにあります。

鹿児島神宮境内

参道

駐車場

二の鳥居の先に駐車場があります。歴史民俗資料館の方向へ少し登ったところにもバリアフリー駐車場があります。また、二の鳥居の手前で右へ曲がって200mほどの、石體神社の周辺にも大きな駐車場があります。

御門神社

二の鳥居を潜り、橋を渡れば両脇に御門神社があります。その先に石段があり、その先にもさらに石段があります。

雨之社

二つ目の石段の右手にある『雨之社』はワタツミ(綿津見神)ことトヨタマヒコ(海神豊玉彦)を祀っています。トヨタマヒメ(豊玉姫尊)の父神であり、娘婿である山幸彦に対して色々と世話をした神様です。

神域

さて、石段を登りきると本殿をはじめとする社殿群が見えてきます。

勅使殿

赤い立派な建物が勅使殿です。その奥に拝殿と本殿があります。これらの社殿は江戸時代(1755)、領主である島津しまづ家によって建造されました。

本殿・拝殿

勅使殿の先に拝殿と本殿があります。これらは3つの社殿はいずれも国の重要文化財に指定されています。

隼風神社

隼風神社はやちじんじゃは本殿・拝殿の周辺にある摂末社群の一社です。祭神はヤマトタケル(日本武尊)ですが、少し怪しいです。

ヤマトタケルは日本神話に登場する大和朝廷の英雄で、九州の不服従勢力を制圧したことになっています。その不服従勢力こそが、この地域を地盤とする隼人はやと族だった可能性があります。

もしそうだとすれば、ヤマトタケルを祀っているように見せかけて、実は隼人はやと族の王を祀っている可能性もあるのではないでしょうか?

武内神社

武内神社たけうちじんじゃは隼風神社の左隣にあります。 祭神は武内宿禰たけのうちのすくねです。武内宿禰に関しては宇倍神社の頁をご参考にしてください。

四所神社

四所神社は武内神社の左隣にある、少し社殿の大きな末社です。こちらも国の重要文化財に指定されています。祭神4柱のうちの3柱は八幡神こと第15代応神Ōjin天皇の子女です。

祭神
大雀命おおさざきのみこと
Ohsazaki-no-mikoto
応神天皇の皇子、第16代仁徳にんとく天皇と同一人物
石姫命
Ishihime-no-mikoto
第29代欽明きんめい天皇の皇后
荒田郎女
Arata-no-iratsume
応神天皇の皇女
根鳥命
Netori-no-mikoto
応神天皇の皇子

龍宮の亀石

石段から見て勅使殿より右手前にあります。意外とスルーしてしまいがちです。言われてみれば、確かにスッポンが首を持ち上げているように見えます。

鹿児島神宮の元宮

さて、いったん二の鳥居へ戻り、鹿児島神宮の元宮である『石體神社しゃくたいじんじゃ』へ向かいます。二の鳥居で帰りの方向を向いて左へ曲がり、300mほど歩きます。

卑弥呼神社

途中、卑弥呼ひみこ神社という小さな神社があります。鹿児島神宮の境外末社という位置付けです。いかにも由緒ありそうな名前ですが、昭和時代(1982)に創建された神社のようです。

一般的に、邪馬台国やまたいこく九州説は福岡県から佐賀県にかけての北部九州を指す場合が多いです。しかし、鹿児島説や宮崎説、大分説もあるにはあります。たしか、魏志倭人伝の方角が正しくて日数が間違いだと仮定すれば、おおよそ鹿児島あたりに辿り着くとかだったと思います。

石體神社

さて、鹿児島神宮の元宮である石體神社に到着しました。

由緒

一応、こちらが主祭神夫妻の宮殿『高千穂宮たかちほのみや』の跡地とされています。なおかつ、八幡神が垂迹した地ともされています。

祭神

鹿児島神宮の元宮なので、鹿児島神宮の主祭神と同じです。

ヒコホホデミは一般的に『海幸彦・山幸彦』神話の山幸彦と同一神扱いされます。『山佐知毘古やまさちひこ』と表記されることも多いです。

なお、兄の海幸彦こと『海佐知毘古うみさちひこ』は隼人はやと族の祖神という説があります。神話上で海幸彦と山幸彦は兄弟喧嘩をするのですが、これは隼人族と大和族という二民族の戦いを暗示しているのではないかと言われています。

祭神
ヒコホホデミ(天津日高彦穗穗出見尊)
Amatsu-Hidaka-Hiko-Hohdemi-no-mikoto
トヨタマヒメ(豊玉比賣命)
Toyotama-Hime-no-mikoto

安産祈願

ヒコホホデミの妻、トヨタマ姫はここで神武天皇の父神であるウガヤフキアエズ(鵜鴎葺不合尊)を出産するのですが、驚くほど安産だったと伝えられています。なので、安産祈願でここを訪れる人が多いです。

鹿児島神宮の属性について浅く考察

先述の通り、鹿児島神宮は八幡神が現世に降臨した場所とされています。そして、似たような伝承を持つ宇佐八幡宮との間で、どちらが正当な八幡宮かを巡って争いがあったという説があります。

宇佐神宮のほうは主祭神筆頭の八幡神をホムダワケ(品陀和気命)こと第15代応神天皇と同一神扱いしています。

一方の鹿児島神宮は、現代でこそ八幡神と応神天皇をイコール扱いして相殿神として祀っていますが、江戸時代以前はそうでもなかったようです。むしろ八幡神のほうが主祭神であり、応神天皇と習合していない正当な八幡神という意味を込めて『正八幡しょうはちまん』と呼ばれていたようです。

では、天皇家とは本来無関係で、皇祖神を主祭神としているのは完全に後付け設定かというと、そうとも言い切れない気がします。なにせ、神武天皇も九州から東征したというのが定説ですから、皇祖神が九州の土着勢力をモチーフとしている可能性は高いと思います。

鹿児島神宮の御朱印

力強くて達筆、久々のヒットです。

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