気比神宮

気比神宮

気比神宮(氣比神宮), けひじんぐう
Kehi-jingū Shrine
関西と北陸を繋ぐゲートウェイ

気比神宮の予備知識

気比神宮は越前国一宮であり、なおかつ神宮号を拝する24社の一つです。水陸の交通拠点に鎮座し、古代より多くの信仰を集めています。

気比神宮の所在地

福井県敦賀市曙町11-68
11-68 Akebono-Chō, Tsuruga City, Fukui Pref.

気比神宮の表記と呼称

旧字体で『氣比神宮』と表記されることも多いです。なお、神宮号が付与されたのは近代に入ってのことで、それ以前の神仏習合が盛んな時代は『氣比大明神』と呼ばれていたようです。

また、地元では親しみを込めて「けひさん」「けいさん」と呼ばれるそうです。実際の地元の人の発音を聞けなかったのですが、関西アクセントの地域なので、おそらく2文字目にアクセントだと思われます(違ってたらスイマセン…)

気比神宮の祭神

主祭神気比大神イザサワケ(伊奢沙別命)
相殿第14代仲哀天皇応神天皇の父
神功皇后応神天皇の母
配祀ヤマトタケル(日本武尊)第12代景行天皇の息子、日本各地を平定
第15代応神天皇ホムダワケ(誉田別命)、八幡大神と習合
タマヒメ(玉姫命)尾張の豪族の妻、舞踊の神
タケノウチノスクネ(武内宿禰命)日本神話に登場する最古の宰相

祭神は上記7柱です。イザサワケ(伊奢沙別命)が主祭神筆頭格ですが、あんまり聞き慣れない名前ですよね。後ほど少しだけ掘り下げますが、とりあえず予備知識としては
・応神天皇親子と関わりが深い
・この辺りの土着神(ていうか海着神?)

この2点を押さえておけば十分です。

他の6柱の格については明記されていません。7柱すべて主祭神だと言っても間違いではないようです。あと、
・応神天皇親子は越前を地盤とする勢力(という説がある)
ということを付け加えておきます。

気比神宮を主観的に格付け

由緒

★★★★★
創建年:仲哀天皇八年(4世紀頃?)

社伝のほか記紀にも登場するため、相当古くから存在していたことは確かです。ただし、神社として整備されたのは飛鳥時代(702)で、このとき仲哀天皇や神功皇后が合祀されたようです。また、『気比神宮』の名が付与されたのは明治二十八年(1895)です。

社格

★★★★☆
名神大社越前国一宮旧官幣大社神宮二十四社別表神社

全国の一宮神社の中でも指折りの社格で、限りなく星5に近い星4です。

知名度

★★★☆☆

県外でも『気比の松原』とセットでそれなりに知名度がありそうに思います。

アクセス

★★★★☆
  • JR敦賀駅→徒歩20分

いちおう、敦賀駅から徒歩圏内です。敦賀駅は東京からの新幹線だけでなく、大阪や名古屋からの在来線特急、それに京阪神直通新快速の終着駅でもあります。

スケール

★★★☆☆

一宮としては平均くらい、神宮の中では小振りかと思います。

観光

★★☆☆☆

単体ではちょっと弱いので、『気比の松原』や敦賀港の観光ルートに組み込むのが良いです。

パワー

★★★★☆
海上安全

名水が湧き出ることでも知られています。そもそも敦賀という土地自体、何か神懸かり的なものを感じます。

気比神宮の周辺地域

敦賀市の地政学

嶺南なのに越前

福井県は大きく分けて嶺北れいほく地方と嶺南れいなん地方に分けることができます。旧国でいえば嶺北=越前えちぜん、嶺南=若狭わかさで「ほぼ」間違いないのですが、敦賀だけは嶺南地方でありながら越前に含まれます。

嶺南と嶺北の間は文字通り険しい山があり、交通の難所です。普通に考えて、敦賀は若狭に入れるのが自然に思えるのですが、なぜか越前です。

北陸と関西の節目

敦賀は北陸と関西、両地方の結節点に位置し、なおかつ敦賀湾という天然の良港を擁します。しかも、天然の大運河である琵琶湖が目と鼻の先にあります。そのため、古来より日本海沿岸地域と畿内を結ぶ重要な拠点でした。

そんな重要港湾を弱小国である若狭に管轄させるのは荷が重いと考えたか、あるいは、強国越前に忖度したか…いずれにせよ、何かしら政治的意図があって越前に組み込まれたのだと思います。

敦賀駅前(敦賀シンボルロード)

北陸新幹線の開通により一躍有名になった敦賀駅。しかし金沢のような大きな街ではないので、乗り換える人は多くても、改札を出る人は少数です。

都怒我阿羅斯等像

敦賀駅の駅前ロータリーにツヌガアラシト(都怒我阿羅斯等)の立像があります。

・・・て誰?(^_^;)

他の観光客の方々も一様に誰やねんリアクションしてました(笑)

ツヌガアラシトは『日本書紀』に登場する朝鮮半島からの渡来人です。加羅から国の王子でしたが、第10代崇神天皇の時代に日本へ渡来したとされています。その後、このあたりを統治し、ツルガという地名の由来になったそうです。

それにしても、「ツヌガアラシト」って「ツノがある人」みたいな響きですよね。実際、額にツノがあったみたいなことが記されているようです。兜のツノのことだというのが定説ですが、もしかしたら顔が角張った人たち(弥生系民族?)のことを指しているのかもしれません。

あ、べつに角張った顔が良いとか悪いとかはありませんので!

銀河鉄道999

駅前には名作アニメ『銀河鉄道999』関連のオブジェが多数、設置されています。しかし、作品や作者が敦賀に所縁があるというわけではないようです。敦賀が港町&科学都市として今後も発展してほしいという願いを込めて設置されたものだそうです。

言われてみれば、メーテルみたいな人が敦賀港からウラジオストック行きの船に乗り込んでそうなイメージはありますね。

平和堂

平和堂は滋賀県を地盤とするスーパーマーケットですが、北陸や中京圏にも店舗を展開しています。平和堂を見ると、滋賀県が侵食してきているなと感じます(笑)

敦賀港

敦賀港は天然の良港で、古代から現代に至るまで、重要な貿易の拠点です。明治時代にはロシアとの定期航路があり、現在も諸外国の貿易船が頻繁に出入りしています。

気比松原

『気比の松原』は日本三大松原の一つに数えられる有名な景勝地です。敦賀港から1km、気比神宮から2km弱の距離にあります。かつては気比神宮の神苑だったようです。

気比神宮境内

平和堂のある交差点を右に曲がって800mほど歩けば気比神宮です。

表参道

大きな交差点に面した真っ赤な鳥居が、国の重要文化財にも指定されている大鳥居です。大鳥居をくぐり、参道を100mほど進めば中鳥居があり、神門のような役割を果たしています。

長命水

中鳥居よりも手前、社務所の向かい側に長命水ちょうめいすいと呼ばれる名水の流れ出るパワースポットがあります。飛鳥時代(702)の神社造成の際に噴出した地下水で、それが現在も枯れることなく流れ出しているのだとか。

すいません、ただの手水舎だと思って気に留めていませんでした…

神域

本殿・拝殿

拝殿は外拝殿と内拝殿があり、その奥の本殿には主祭神が祀られています。これらの社殿は昭和五十七年(1982)の大改修で造営された建造物だそうです。

イザサワケとホムダワケ

せっかくなので、主祭神イザサワケ(伊奢沙別命)について、少し掘り下げましょう。『古事記』の気比神宮がらみの一節に登場する神様です。ホムダワケ(誉田別命、第15代応神天皇と同一人物とされる)と名前を交換したエピソードが記されています。名刺交換じゃなくて名前交換です。しかし、どちらが誰の改名前と改名後なのか、よくわからないそうです。

名前交換は何かの暗喩?

なお、これは私個人の考えですが、お互いの役職を交換したんだと思います。なんとなく言葉の響きからして、イザサワケは水産大臣、ホムダワケは農林大臣ぽくないですか?

役職交換でないとすれば、領地交換です。これも言葉の響きによる想像ですが、イザサワケは若狭の王、ホムダワケは越前の王という気がします。敦賀が若狭から越前に編入されたことで、支配者(つまり神様)の名前が変わったことを暗喩しているのではないでしょうか。

久々に妄想が捗った( ̄▽ ̄)

四社の宮

外からはわかりませんが、本殿を取り囲むように4つの社殿があり、配祀4柱がそれぞれ祀られています。こちらは平成時代に再建されたようです。

九社の宮

本殿の脇のほうにある摂末社群です。イザサワケの荒御魂を祀る伊佐々別神社のほか、劔神社や鏡神社、それに金神社など、神宝のような名前の末社が立ち並んでいます。

南参道周辺

芭蕉の碑

中鳥居を出て正面あたりに、松尾芭蕉(1644-1694)の碑があります。芭蕉は気比神宮を参拝した折に、以下の句を詠みました。

“月清し 遊行ゆぎょうのもてる 砂の上”
月の光が清らかなだなぁ
(歴代の)遊行上人が持ち運んだ(と伝えられる)
白砂の上(を私は今、歩いているよ)

遊行というのは個人名ではなく、ある仏教宗派の高僧に対する呼称です。鎌倉時代後期(13-14世紀)に、遊行上人らが白砂を持ち運んで気比神宮の参道を整備したという故事を指しています。

神水苑

先に紹介した『長命水』湧水の地であることに因んで整備された公苑です。

すいません、ここから先のエリアには未だ行ってません(^_^;)
再訪後に記事を更新します。

角鹿神社

境内摂社『角鹿神社つぬがじんじゃ』はツヌガアラシト(都怒我阿羅斯等)が祀られています。先に紹介した、敦賀駅前に銅像のあるやつですね。

気比神宮の御朱印

三ツ巴と菊花紋、それに桐花紋が使用されています。

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