
熊野本宮大社
くまのほんぐうたいしゃ
Kumano-Hongū-Taisha Grand Shrine
熊野本宮大社の予備知識
熊野本宮大社は熊野古道の終着地点、すなわち『熊野詣で』の聖地です。全国の熊野神社の総本社であり、『熊野三山』の一角です。
熊野本宮大社の所在地
熊野本宮大社の祭神
主祭神 | ケツミミコ(家津美御子大神) Ketsumimiko-no-Ōkami |
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一応、スサノオ(素戔嗚尊)と同一神とされています。また、『熊野権現』の1柱でもあります。
現代人が見ると失笑してしまいそうな名前ですが、古代人がどう発音していたかはわかりません。少なくとも「ケツ」は「ケトゥ」と発音されていたと思われます。インドのケートゥ神(Ketu / केतु)と何かしら関係があるのではないかと私は考えています。もしそうだったら面白いな的な、希望的観測も少なからずありますけどね。
熊野本宮大社を主観的に格付け
由緒
社伝によれば創建年は上記の通りです。崇神天皇は第10代天皇です。実在した最古の天皇という説があります。記紀に記載された年代通りであれば紀元前1世紀頃ですが、実際のところは3-4世紀頃だろうと言われています。
社格
知名度
有名神社には違いありませんが、神社そのものよりも参道である『熊野古道』のほうが一般的に名が浸透しているかもしれません。
アクセス
- 田辺方面から車(R311)で1時間強
- 新宮方面から車(R168)で約45分
- 奈良交通バスで新宮駅から『本宮大社前』バス停まで約1.5時間
幹線国道沿いではありますが、やはり都会からは遠いです。あと、広い駐車場があともう一箇所くらいほしいところです。
スケール
旧社地である大斎原を含めた場合、相当広いと思います。
観光
旧社地である大斎原を含めれば、インスタ映えも狙えるでしょう。
パワー
熊野本宮大社の宗教的位置付け
熊野古道の終着地点
熊野本宮大社は熊野古道の終着地点、すなわち『熊野詣で』の聖地です。今も昔も、アクセスは決して楽ではありません。それでも、古来より多くの参拝客が訪れます。
神道?仏教?
いちおう神社という位置付けであり、日本神話の神々を祭神としています。ただし、それらは仏や菩薩の化身であるという思想のもと、神仏習合の性質を色濃く持っています。また、仏や菩薩の化身のことを権現と呼び、当神社をはじめとする熊野系神社の神々は『熊野権現』と呼ばれます。
熊野三山相互リンク
熊野本宮大社は那智大社や速玉大社と共に熊野三山(Kumano-Sanzan)の一角で、なおかつ熊野古道の構成要素として世界文化遺産にも登録されています。
熊野本宮大社の周辺地域
以前に比べれば道路が綺麗に整備されアクセスしやすくなりましたが、それでも遠いことに変わりはありません。オススメは新宮市もしくは田辺市の中心部から車でアクセスすること。また、三重県熊野市からR311経由のアクセスも一部を除いて快走路だし景色も良いので、まあオススメです。
奈良県経由は道が良くないので非推奨ですが、高規格道路が建設中なので数年後には格段にアクセスしやすくなるかもしれません。

熊野本宮大社境内
表鳥居
八咫烏がお出迎え
八咫烏の旗が印象的な表鳥居から石段を登っていきます。石段を登れない場合は熊野本宮大社の社務所に電話するか職員に声をかければ、裏鳥居側のバリアフリー駐車場へ案内してくれます。


祓戸大神〜手水舎
石段の中腹に『祓戸大神』があります。いちおう、最初にここで拝礼するのが習わしとされています。石段を上りきると手水舎がありますが、龍神ではなく八咫烏なのがユニークです。


拝殿〜神門
手水舎からもう少しだけ登ると授与所や拝殿、神門が見えてきます。


八咫烏ポスト
授与所では八咫烏関係のおみくじやお守り、その他グッズを入手することができます。そして、拝殿の斜め向かいには八咫烏ポストがあり、ここから手紙を届けることができ、ハガキも授与所で購入できます。

御社殿
神門の先に御社殿がありますが、ここから先は撮影禁止です。
まず、御社殿のうち満山社を除く4社は上四社と呼びます。このうち、イザナギとイザナミ(薬師如来と千手観音)を『両所権現』、さらにスサノオ(阿弥陀如来)を合わせて『三所権現』と呼ぶ場合があります。
上四社の御社殿・祭神・参拝順
参拝順 | 社殿名 | 配置 | 祭神《本地仏》 | ||
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1 | 証誠殿 本宮 | 第三殿 | 神門正面 | ケツミミコ(家津美御子大神) | スサノオと同一神 《阿弥陀如来》 |
2 | 中御前 結宮 | 第二殿 | 1の左隣 | ハヤタマオ(速玉大神) | イザナギと同一神 《薬師如来》 |
3 | 西御前 結宮 | 第一殿 | 2の左隣 | フスミ(夫須美大神) | イザナミと同一神 《千手観音》 |
4 | 東御前 若宮 | 第四殿 | 1の右隣 | アマテラス(天照大神) | 言わずと知れた太陽神 《十一面観音》 |
5 | 満山社 | 4の右隣 | 結ひの神 | ここでは八百萬の神の意味 |
熊野本宮大社境外(裏参道側)
祓所王子
裏鳥居を出て50mほどの場所に、祓所王子という小さなお社があります。現物は「祓所王子」と表記されていますが「祓戸王子」だったり「祓殿王子」と表記されている場合もあります。
そもそも王子とは、 平安時代末期(12世紀)『熊野詣で』が流行った頃、熊野古道沿いに整備された数多くの小さな神社群のことで、キロポスト的な役割を持っているようです。実は現代でも目的地までの目安として機能しており、各所の王子でスタンプを集めるのが古道歩きの楽しみ方の一つとなっています。
また、熊野古道の最終目的地がここ熊野本宮大社なので、祓所王子は最終の王子です。なお、当サイトではこちら側を裏参道と表現しましたが、昔の人は必ずこちら側を通って来たはずです。なので、こちらを表参道と呼ぶべきかもしれません。


熊野本宮大社境外(表参道側)
さて、登ってきた石段を降りて表参道側の鳥居へと戻ります。表参道側というより国道側と表現すべきでしょうか。石段の中腹から、『大斎原』の大鳥居が目に入ります。
産田社
まず、大斎原の大鳥居とほぼ向かい合わせに鎮座する産田社へと向かいます。
名称 | 産田社 Ubuta-sha | 境外末社 |
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祭神 | イザナミの荒魂(伊奘冉荒魂) | おそらく出産時のイザナミのこと |

大斎原の大鳥居
次に、大斎原の大鳥居へと向かいます。大斎原と書いて「おおゆのはら」と読むのですが、完全な当て字です。
そもそも、なんで「ゆのはら」と読むのでしょう? 河原なので温泉地には見えないのですが…
後日ですが、由来は『故の原』(ゆえのはら)であることがわかりました。つまり、古い社殿のあった河原という意味です。祭事だけは今でもここで催されるので「斎」の当て字をしたと思われます。




大斎原の旧境内
この大鳥居をくぐった先が熊野本宮大社の旧境内ですが、ここから先は許可が無ければ撮影禁止です。
実は明治時代の大水害以前、ここが熊野本宮大社の境内でした。ここにはかつて中四社と下四社の社殿が存在したのですが、現在は双方まとめて1箇所の石祠に収まっています。
なお、上四社、中四社、下四社の12柱(12権現)をまとめて『熊野十二所権現』と総称します。
中四社の御社殿・祭神
中四社の4柱(4権現)と上四社のアマテラス《十一面観音》を合わせて『五所王子』と呼ぶのですが、その名の通り天孫の系譜となっています。
社殿名 | 祭神《本地仏》 | |
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禅児宮 第五殿 | オシホミミ(忍穂耳命) | アマテラスの息子 《地蔵菩薩》 |
聖宮 第六殿 | ニニギ(瓊々杵尊) | オシホミミの息子 《龍樹菩薩》 |
児宮 第七殿 | ヒコホホデミ(彦火火出見尊) | ニニギの息子『山幸彦』 《如意輪観音》 |
子守宮 第八殿 | ウガヤフキアエズ(鵜葺草葺不合命) | ヒコホホデミの息子、神武天皇の父 《聖観音》 |
下四社の御社殿・祭神
下四社の4柱(4権現)を『四所明神』と呼びます。もし、この中に鉱物の神カナヤマビコ(金山彦神)を追加すれば、陰陽五行説の元素が揃います。
社殿名 | 祭神《本地仏》 | |
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一万宮十万宮 第九殿 | 火の神カグツチ(軻遇突智命) | イザナギとイザナミの子 《文殊菩薩・普賢菩薩》 |
米持金剛 第十殿 | 土の神ハニヤス(埴山姫命) | イザナギとイザナミの子 《毘沙門天》 |
飛行夜叉 第十一殿 | 水の神ミヅハノメ(彌都波能賣命) | イザナギとイザナミの子 《不動明王》 |
勧請十五所 第十二殿 | 穀物神ワクムスビ(稚産霊命) | カグツチとハニヤスの子 《釈迦如来》 |
真名井社
大斎原を通り抜けて一旦国道に出て、再び横断歩道を渡り、細い道を少し進んだところに境外末社の『真名井社』があります。言葉で説明してもわかりにくいので、地図を貼り付けておきます。
あいにく、筆者が訪問した日は落石のせいで通行止めになっていて、近くまで行けませんでした。

井戸を御神体とし、熊野本宮の神様が最初に降臨した地とされています。また、祭神のアメノムラクモ(天村雲命)は天界から地上に飲料水をもたらしたとされています。
名称 | 真名井社 Manai-sha | 境外末社 |
---|---|---|
祭神 | アメノムラクモ(天村雲命) | アメノコヤネ(天児屋尊)の息子 |
熊野本宮大社に関するその他
八咫烏に関して浅く解説
そして、さっきから何度も登場している八咫烏について、少しだけ深掘りします。
熊野本宮大社主祭神の部下
八咫烏は日本神話に登場する3本足のカラスで、一般的にはアマテラスのパシリ 使者として描かれていますが、熊野本宮大社では主祭神の部下という立場を取っています。
熊野から大和まで道案内
日本神話では、神武天皇が大和国に侵攻する際に、熊野国、つまりこのあたりから大和国までの道案内をしたとされています。
しかしこれは、単に道を案内したというより、周辺地域の有力者たちを懐柔して神武天皇に味方するよう呼びかけたと思われます。もし実話に基づく神話だと仮定するなら、八咫烏っていうのは、今でいうと政治的影響力を持っている有力企業でしょうか。もしくは、裏で暗躍する秘密結社のような存在だったのではないかと思われます。
サッカー日本代表チームのシンボル
なお、八咫烏はサッカー日本代表チームのシンボルマークにもなっており、選手団が参拝に来ることもあります。日本にサッカーを広めた人物、中村覚之助(1878-1906)が熊野那智大社のある那智勝浦町出身だからです。

畿内五芒星
畿内五芒星については別の機会に詳しく紹介するとして、神武天皇即位の地である橿原神宮が、当神社の真北に位置していることが感慨深いです。
熊野本宮大社の御朱印
八咫烏マークの上に乗っかっている「熊野」の字がいかにもスサノオらしい荒々しさを表現しています。なお、絵柄の入ったバージョンと、大斎原、産田社、真名井社の御朱印は置書きです。




