
宮崎神宮
Miyazaki-Jingū Shrine
宮崎神宮の予備知識
宮崎神宮は全国で24社ある『神宮』の一社です。県都宮崎の市街地に鎮座し、初代天皇である神武天皇を主祭神としています。
宮崎神宮の所在地
宮崎神宮の祭神
主祭神 | カムヤマトイワレヒコ(神日本磐余彦天皇) Kam-Yamato-Iwarebiko-no-Sumera-Mikoto | 神武天皇 |
---|---|---|
配祀神 | ウガヤフキアエズ(鵜鷀草葺不合尊) | 神武天皇の父神 |
タマヨリヒメ(玉依姫命) | 神武天皇の母神 |
社伝によれば、初代天皇である神武天皇は畿内へ東征する以前、この地に居城を構えていたそうです。
宮崎神宮を主観的に格付け
由緒
相当古くから存在していたことは確かですが、具体的な創建年は不明です。
社伝によれば、神武天皇の孫であり、阿蘇神社の主祭神でもあるタケイワタツ(健磐龍命)によって創建されたとされています。
一方、『先代旧事本紀』(成立年:9-10世紀)によれば、第15代応神天皇(4-5世紀?)の時代に社殿が創建されたことになっています。
また、宮崎神宮は『古事記』(成立年:712)に記される『高千穂宮』の比定地の一つです。
さらに、『神皇正統記』(成立年:14世紀)に記される「日向の宮崎の宮」も宮崎神宮を指していると推察することができます。同書によれば、神武天皇はここから東征を開始したことになっています。
社格
社格が与えられたのは近代になってからです。
知名度
全国レベルかと言われると微妙ですが、初代天皇にゆかりの神社として、そこそこ知られているのではないでしょうか。
アクセス
- JR宮崎神宮駅→徒歩10分
- 駐車場あり
駐車場が少しわかりにくいです。表参道側にはありません。護国神社側の交差点に回り込んでいただき、銅の鳥居をゆっくりとくぐった先にあります。なお、石の鳥居は護国神社の鳥居ですが、中は宮崎神宮の駐車場と繋がっています。
スケール
配置やスケール感は奈良県の橿原神宮とよく似ています。
観光
ザ・観光地ではないですね。
パワー
宮崎神宮の周辺地域
宮崎市の地政学
賑やかな繁華街
宮崎市は言わずとしれた宮崎県の県都です。九州の県都は何処も活気があります。お互いにそこそこ距離もあるので、群雄割拠の様相を呈しています。

豊かな宮崎平野
宮崎市を擁する宮崎平野は温暖な気候に恵まれた豊かな土地で、しかも海や山など天然の要害で囲まれています。近隣地域の勢力にとって、きっと喉から手が出るほど欲しい土地だったでしょう。
近隣地域といえば、一番近いのが鹿児島です。実際、中世においては、鹿児島の島津家の影響下にありました。
古代においても鹿児島を拠点とする勢力の支配下にあった可能性は高いと思います。霧島神宮のニニギ(瓊瓊杵尊)が神武天皇の曽祖父で、鹿児島神宮のヒコホホデミ(彦火火出見尊)が神武天皇の祖父にあたることも、そう思える要因です。
いつから宮崎と呼ばれた?
ところで、宮崎という地名はいつ頃、生まれたのでしょうか? なぜそれが気になるかというと、『宮崎神宮』という名前が一巡しているように思えるからです。一文字目の「宮」は一体どこを指しているのでしょうか?
色々と調べたところ、『宮崎』が地名として初登場するのは奈良時代末期(8世紀)の『続日本紀』だそうです。具体的な範囲は現在の宮崎市から日南市や串間市に跨る地域だったと推定されています。
だとすれば、一文字目の「宮」は日南市にある鵜戸神宮を指している可能性が考えられます。鵜戸神宮は岬に鎮座しているので、「宮崎」は本来、鵜戸神宮近辺の狭い範囲を指す地名だったのかもしれません。それが転じて、宮崎平野あたりを指すようになったのではないでしょうか。
要するに嵐山駅周辺が嵐山と呼ばれるようになったのと同じ理屈かと
ちなみに、鵜戸神宮の主祭神は神武天皇の父親にあたるウガヤフキアエズ(鸕鷀草葺不合尊)です。地名も主祭神も親子関係というわけですね。
宮崎神宮境内
ニノ鳥居・三ノ鳥居
さて、表参道からニノ鳥居を潜って境内に入りましょう。なお、一ノ鳥居はここから800m手前、国道10号線との交差点である『一の鳥居』交差点にあります。鳥居は全て銅製です。
境内はどことなく、奈良県の橿原神宮と雰囲気が似通っています。神宮として整備されたのが同じ時代なので当然といえば当然かもしれません。

宮崎神宮徴古館
三ノ鳥居を潜った右手あたりに宮崎神宮徵古館があります。いわゆる歴史博物館ですが、建物自体が社殿群と共に国の有形文化財に指定されています。
そんな重要な建物だとはつゆ知らず、完全にスルーしてしまった
正門
他の神宮と同様、神明造の正門には大きな菊花紋が描かれています。建築家の伊東忠太(Itō-Chūta, 1867-1954)による設計で、明治四十年(1907)に完成しました。


社殿群
正門から先の建造物は全て左右対称になっています。手前から拝所、幣殿、神殿の順に並んでいます。正門と同じく、伊東忠太による設計で明治四十年(1907)の完成です。
拝所は正門と同様、鰹木が5本、外削ぎの千木が2本の神明造です。なお、外削ぎというのは切り口が地面に垂直になっていることで、地面に水平なのが内削ぎです。祭神が男性神の場合は外削ぎ、女性神の場合は内削ぎです。
拝所の奥にある横に長い建物が幣殿で、その後方に神殿、左右に御料屋と神饌所がそれぞれ繋がっています。いずれも、国の有形文化財に指定されています。

御朱印
