近江神宮

近江神宮

近江神宮 / おうみじんぐう
Ōmi-Jingū Shrine
湖都に佇む時計とカルタの聖地

近江神宮の予備知識

近江神宮は中大兄皇子こと天智天皇を祀る、格式の高い神社です。百人一首や時計の聖地としても知られています。

近江神宮の所在地

滋賀県大津市神宮町1-1
1-1 Jingū-chō, Ōtsu city, Shiga Pref.

近江神宮の祭神

主祭神は天智天皇こと中大兄皇子なかのおおえのおうじです。

主祭神
第38代天智てんち天皇(626-672)
別名『天命開別大神』あめみことひらかすわけのおおかみ

乙巳の変・大化の改新

中大兄皇子といえば、『大化の改新たいかのかいしん』を先ず思い浮かべる人が多いでしょう。大化の改新イコール西暦645年、蘇我入鹿そがのいるかを●した事件をイメージするのではないでしょうか。しかし現在の教科書では、同事件は『乙巳の変いっしのへん』と記載されています。一方で、『大化の改新』はその後の数年間に及ぶ一連の政治改革を指すようになり、両者は明確に線引きされました。

大津遷都

また、中大兄皇子はここ、大津市と非常にゆかりの深い人物です。彼は西暦667年に飛鳥から大津に首都を遷し、その一年後に天皇として即位しました。大津に築造された首都は史料上、主に『近江大津宮おうみおおつのみや』の名で記されています。

時計の神

天智天皇こと中大兄皇子は、時計の神としても崇められています。なぜなら、彼は日本で初めて漏刻ろうこくを設置したとされているからです。漏刻とは、水時計のことです。

なので、ここ近江神宮は時計の聖地でもあります。境内には、有名時計メーカーによって時計がいくつか奉納されています。

百人一首第一番

さらに、近江神宮は百人一首の聖地でもあります。なぜなら、百人一首の第一番は天智天皇だからです。天智天皇が詠んだ歌に関しては、後ほど解説します。

近江神宮を主観的に格付け

由緒

★★☆☆☆
昭和十五年(1940)創建

神社としての創建年は意外と新しいです。

社格

★★★★★
旧官幣大社神宮二十四社別表神社勅祭社

知名度

★★★☆☆

滋賀県内の神社の中では多賀大社と並び、駅名にもなっています。

アクセス

★★★★☆
  • 京阪近江神宮前おうみじんぐうまえ駅→一ノ鳥居まで徒歩10分
  • JR大津京おおつきょう駅→一ノ鳥居まで徒歩15分

京阪大津線は意外と運行本数が多くて便利です。

スケール

★★★★☆

境内はそこまででもありませんが、表参道の緑地がかなり広いです。

観光

★★☆☆☆

百人一首愛好家の方にはオススメです。また、桜の名所でもあります。

パワー

★★★☆☆
開運厄除け文化芸術殖産興業

近江神宮の周辺地域

大津京

先述の通り、この辺りはかつて天智天皇によって一時期、首都が置かれました。といっても、その期間はわずか5年ちょっとです。その理由については諸説ありますが、はっきりとしたことはわかっていません。

史料上は『近江大津宮おうみおおつのみや』ですが、一般的に『大津京おおつきょう』と呼ばれることも多いです。私も学生時代、そう習った記憶がありますし、JRの駅名もそうなっています。しかし、この呼び方には賛否あります。というのも、藤原京や平城京と違って条坊制が敷かれていなかったと見られている為です。もともと臨時首都的な位置付けだったのかもしれません。

京阪近江神宮前駅

近江神宮へのアクセスは京阪電鉄近江神宮前おうみじんぐうまえ駅からのアクセスが便利です。日中でも本数が10分間隔なので、ほぼ待たずに乗れます。

近江大津宮錦織遺跡

近江神宮前駅の周辺に『近江大津宮錦織にしごり遺跡』という、近江大津宮の遺構が点在しています。かつて天智天皇が、ここで政務をおこなっていました。

近江神宮境外

京阪電鉄の踏切近くに第一鳥居があります。ここから第二鳥居までの表参道は『木漏れ日の道』と呼ばれています。スケールこそ違いますが、東京の明治神宮と似た雰囲気があります。

近江神宮境内

第二鳥居を潜れば、トイレや駐車場のあるエリアがあります。当記事ではここから先を境内とします。

楼門

第二鳥居を潜り、車道を横切った先に楼門があります。朱色の立派な楼門ですが、文化財には登録されていないので、比較的新しい建造物かと思われます。

外拝殿

楼門を潜れば、そのすぐ先に外拝殿があります。昭和十五年(1940)建立で、国の登録有形文化財に指定されています。

あいにく、写真には映っていませんが、外拝殿の左手前に火時計が設置されています。昭和五十四年(1979)にロレックス社より奉納されたものだそうです。

内拝殿

外拝殿の先に内拝殿があります。こちらも外拝殿と同年に建立され、国の登録有形文化財に指定されています。内拝殿は祈祷や祭祀の際に用いられるようです。

また、その先に本殿があるのですが、この写真では見えませんね。

時計館・宝物館

さて、帰りの方向で楼門の右手をご覧ください。時計館・宝物館があり、その手前には日時計と漏刻(水時計)が設置されています。

先述の通り、天智天皇は国内で初めて水時計を設置した人物だと云われています。そのため、ここ近江神宮は時計の聖地と言えるわけです。

時計館には古今東西の時計が展示されています。また、宝物館には奉納品である絵画などが展示されています。

百人一首の聖地

先述の通り、百人一首は天智天皇が詠んだ歌で始まります。そのため、近江神宮には百人一首の関連施設があります。

近江勧学館

裏鳥居のある方向に近江勧学館という宿泊研修施設があります。こちらの施設では、百人一首の全国大会も開催されることがあります。

館内にはアニメ『ちはやふる』の登場キャラのパネルが設置されています。同アニメにおいても、近江神宮や近江勧学館が幾度となく登場しています。

天智天皇の歌

天智天皇が詠んだ歌の内容は以下の通りです。

“秋の田の かりほのいおとまをあらみ わが衣手ころもでは 露にぬれつつ”
秋の田の(近くにある見張り用の)仮小屋(稲刈り小屋)は、(屋根が)草を編んで作られたもので目が粗く、(見張り番をしている)私の着物の袖は夜露に濡れつづけています。

私が百人一首に初めて触れたのは小学生時代ですが、何気にこの歌はカッコいいなと思っていました。しかも詠み人が歴史上の超有名人だというのも凄いです。

ただ、これが実際に天智天皇が詠んだのかどうかは不明なのだそうです。なにせ、百人一首の編纂者である藤原定家(1162–1241)は天智天皇より500年も後の人です。何かしら政治的な意図によって、詠み人を天智天皇とした可能性は十分に考えられます。

しかし、もし本当に天智天皇が稲刈り小屋の見張り番をしていたとすれば、それはそれでロマンがありますよね。若かりし頃、野心を見抜かれないように農夫の作業を手伝っていたとか…

んなわけないか(^◇^;)

在原業平の歌

ついでなので、上記アニメのタイトルにちなんで、在原業平の歌も解説しましょう。在原業平Ariwara-no-Narihira(825 – 880)は平安時代の歌人で、モテメンとして有名です。彼の歌は百人一首では第17番に収められています。

“ちはやふる 神代かみよも聞かず 竜田川たつたがわ からくれなゐに 水くくるとは”
(神々の)勢いが強かった(=不思議なことが多かった)神代でさえ聞いたことがない。(紅葉が)竜田川の水を真紅に染めてしまうなんて。

「ちはやふる」は「荒ぶれる」「勢いが強い」などを神聖に表現した言葉です。「ちはやぶる」と表記される場合がありますが、どちらも正解です。当時の日本語は清音と濁音の明確な区別が無く、「ふ」と書いて「ぶ」に近い発音をしていたと思われます。

その一方で、「ゐ」は現代ではあまり使われなくなった、ワ行の「い」です。現代語では「い」と発音されますが、本来の発音は「うぃ」(wi)です。ちなみに、カタカナは「ヰ」で、現代でも「ウヰスキー」などでたまに見かけます。

話が逸れましたが、もしかすると当時の人は「くれなゐ」と書いて「グルェナヴィ」みたいに発音していたかもしれません。当時の和歌は、発音だけでなく抑揚やテンポも含め、現代人のイメージとは全く異なっていたかもしれませんね。

御朱印

『近江神宮』の書体が独特ですね。おそらく、琵琶湖や水時計に因んで、水面をイメージしたものだと思われます。

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