
大神神社(三輪明神)
おおみわじんじゃ(みわみょうじん)
Ōmiwa-Jinja Shrine <Miwa-Myōjin>
大神神社の予備知識
大神神社は三輪山をご神体とする、国内最古級の神社です。摂社の檜原神社も含め、史跡としてもパワースポットとしても人気を集めています。
大神神社の別称
別称は『三輪明神』です。また、地元の人たちの間では「明神さん」と呼ばれています。
大神神社の所在地
大神神社の祭神
主祭神 | オオモノヌシ(大物主神) Ōmononushi-no-Kami | オオクニヌシ(大国主神)の和魂 |
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配祀神 | オオナムチ(大己貴神) Ōnamuchi-no-Kami | オオクニヌシ(大国主神)と同一 |
スクナヒコナ(少彦名神) Sukunabikona-no-Kami | オオクニヌシ(大国主神)の宰相 |
大神神社を主観的に格付け
由緒
神社自体の創建年は全く不明、おそらく有史以前と思われます。また、平安時代末期(1168)、平清盛によって大規模な社殿が築造されました。
社格
知名度
歴史ファンや近鉄沿線民にとっては身近な存在でしょう。しかし一般ピープルには春日大社あたりのほうが知られてそうな気がします。
アクセス
- 近鉄桜井駅よりバス10分『三輪明神大神神社二の鳥居』バス停下車すぐ
- JR三輪駅徒歩5分
スケール
近隣の摂社群を含めた評価です。ただし、三輪山は評価対象外とします。
観光
ザ・観光地ではありませんが、天気が良い日の参拝・散策は超オススメです。
パワー
近隣の摂社群を含めた評価です。ただし、三輪山は評価対象外とします。
大神神社の主祭神をもうちょい深掘り
大神神社の主祭神であるオオモノヌシ(大物主大神)について、現代のソシャゲっぽく解説します(笑)
オオクニヌシの和魂
『古事記』によれば、出雲の神であるオオクニヌシ(大国主)が国政について悩んでいたとき、彼の前に『幸魂』と『奇魂』が現れ、彼に知識や技術を授けました。
『オオクニヌシ』が『覚醒オオクニヌシ』に進化!!
なお、幸魂・奇魂を合わせて『和魂』と呼びます。この和魂こそがオオモノヌシです。つまり、オオモノヌシはオオクニヌシの進化素材です(笑)
大神神社創建を託す
オオモノヌシはオオクニヌシに対し、自らを大和国の三輪山に祀るよう言い残して姿を消しました。それが三輪山信仰、すなわち大神神社創建のルーツとされています。
和魂説以外
オオモノヌシはオオクニヌシ自身、あるいはその息子であるコトシロヌシ(事代主)と同一神扱いされる場合もあります。
また、実体は蛇の姿をしているとされています。いずれにせよ、出雲王家と関わりの深い存在です。
祟り神として
第10代崇神天皇の時代(3-4世紀?)、疫病で国の人口が激減しました。
天皇はこれをオオモノヌシの祟りと考え、出雲王家の子孫であるオオタタネコ(大田田根子)を大神神社の祭主に任命しました。すると疫病が収束したそうです。
大神神社の周辺地域
桜井市は史跡の宝庫
大神神社は奈良県の大和盆地南東部、桜井市にあります。市の知名度はそれほど高くありませんが、纏向遺跡や箸墓古墳といった重要史跡が数多く点在します。それに藤原京や石舞台からも近く、古代史ファンにとって人気のエリアです。
広義では飛鳥地方に含まれると思うのですが、車のナンバーは対象外らしいです
近鉄桜井駅
大神神社へのアクセスは、奈良県内を交通事情を鑑みると、近鉄桜井駅が起点となるケースが多いでしょう。同駅でJRに乗り換えるか、もしくは桜井駅北口から奈良交通バスかタクシーに乗るのが良いでしょう。
大神神社境外
大鳥居
大神神社といえば、近鉄電車からも見える大鳥居を思い浮かべる人が多いでしょう。この大鳥居は高さは32.2mで、熊野本宮大社大斎原の大鳥居に次いで全国2位です。
また、大鳥居の背後に見えるピラミッド型の山が大神神社のご神体である『三輪山』(Miwa-yama, 467.1m)です。大きな山でありませんが、たしかに神々しいオーラを放っています。

参道(大鳥居〜二の鳥居)
参道といっても駐車場以外、特に目を引く要素はありません。車でのアクセスの場合、なるべく境内近くまで行きたい気持ちはわかりますが、大鳥居近くの広い駐車場に停めるのが吉です。
二の鳥居
大鳥居から500mほど参道を東へ進んだ所に二の鳥居があります。バスやタクシーはここまで乗り入れてくれますが、この付近に駐車場はありません。

大神神社境内
参道(二の鳥居〜拝殿)
二の鳥居から拝殿までの参道は200mほどですが、まあまあの坂道です。
大神神社拝殿
さて、注連柱を潜れば拝殿前に到着です。注連縄の向きは出雲大社と同じです。
拝殿は江戸時代(1664)、徳川家綱によって再建されたものですが…
また、拝殿には『三ツ鳥居』があります。鳥居の両脇に小さな鳥居が並んだもので、大神神社にちなんで『三輪鳥居』とも呼ばれます。おそらく、ご神体である三輪山を象ったものと思われます。
なお、拝殿の先に本殿は無く、ご神体の三輪山が本殿代わりです。


大神神社祈祷殿
さて、拝殿の近隣には祈祷殿もあるのですが、私はこの建物がすごく気に入っています。

大神神社摂社『狭井神社』
祈祷殿の前を横切り、参道を少し登れば、摂社の狭井神社があります。
社名・社格 | 狭井神社(狭井坐大神荒魂神社) Sai-jinja <Sai-ni-imasu-Ōmiwa-no-Aramitama-no-jinja> | 大神神社の境内摂社 |
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祭神 | 大神荒魂神 Ōmiwa-no-Aramitama-no-kami | オオモノヌシの荒ぶる御魂 |
三輪山登山口
狭井神社には三輪山の登山口がありますが、入山に際しては、狭井神社社務所での受付が必要です。また、受付は午前中のみで、午後4時までに下山報告しないといけません。このほか、山中での水以外の飲食や写真撮影が禁止だったり、山中での出来事を口外してはいけないなど、様々なルールや都市伝説があります。
なお、この記事を書いている時点では、コロナパンデミックの影響で入山不可となっています。2023年11月時点では再開されていました!


大美和の杜展望台
狭井神社に隣接して『大美和の杜』という展望公園があります。春の天気の良い日は絶景です。



大神神社末社『久延彦神社』
大美和の杜から大神神社の境内末社である久延彦神社に抜けることができます。
祭神のクエビコは、実は案山子のことで、田畑の神であり知恵の神様でもあります。なぜ案山子が知恵の神様かというと、朝も昼もずっと広範囲を見渡しているので色んな知識や情報を入手できるから…だそうです。ちなみに、『古事記』でクエビコがオオクニヌシ(大国主)にスクナビコナ(少彦名命)の名前を教示するシーンがあります。
また、ここ久延彦神社は受験祈願に訪れる人が多いです。北野天満宮ほど有名ではありませんが、地元ではそこそこ定番らしいです。
社名・社格 | 久延彦神社 Kuehiko-jinja | 大神神社の境内末社 |
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祭神 | クエビコ(久延毘古命) Kuebiko-no-Mikoto | 案山子(かかし)のこと |


山辺の道(大神神社〜桧原神社)
さて、狭井神社と久延彦神社の参拝を終えたら、『山辺の道』を歩いて境外摂社である桧原神社を目指します。
山辺の道
『山辺の道』(山邉道)は、大神神社から奈良市の春日大社付近までを結ぶ、有史上日本最古の道路です。
起点から終点までの直線距離は20km足らずです。しかし、実際は入り組んでいるので、総延長はもっと長いです。もちろん、今回歩くのはその中の一部区間だけです。
檜原神社までの距離はおよそ1.2km。途中、プチ登山箇所があるので実際の距離よりは少し遠く感じるかもしれません。しかし、天気が良い日に散策すると本当に心地良いです。きっと、絵に描いたような長閑な光景に癒されるでしょう。

大神神社摂社『檜原神社』
檜原神社の入り口に鳥居はありません。その代わり注連柱だけが立っています。


笠縫邑の比定地
第10代崇神天皇の皇女、トヨスキイリヒメ(豊鍬入姫命)は斎宮としてアマテラスの鎮座地を探して各地を旅しました。斎宮とは「アマテラスの嫁」的な役職です。
『日本書紀』によれば、彼女はまず『笠縫邑』にアマテラスを祀ったとされています。ここ檜原神社は『笠縫邑』の比定地です。
檜原神社の三ツ鳥居
社殿は無く、大神神社の拝殿と同様、『三ツ鳥居』が存在します。その先には三輪山があります。また、さらにそのずっと先には伊勢神宮があります。
社名・社格 | 檜原神社 Hibara-jinja | 大神神社の境外摂社 |
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祭神 | アマテラスの若御魂(天照大神若御魂神) | おそらく、伊勢神宮へ遷座する以前のアマテラスのこと |
イザナギ(伊弉諾尊) | アマテラスの父神 | |
イザナミ(伊弉冉尊) | アマテラスの母神 |
豊鍬入姫宮
三ツ鳥居の左手に並んで鎮座するのが豊鍬入姫宮です。初代斎宮であるトヨスキイリヒメを祀っています。
社名・社格 | 豊鍬入姫宮 Toyosukiiri-hime-no-miya | 大神神社の境外末社 |
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祭神 | トヨスキイリヒメ(豊鍬入姫命) Toyosukiiri-hime-no-mikoto | 第10代崇神天皇の皇女 |
箸墓古墳
さて、檜原神社の石段を降りましょう。
さらに坂道を下っていけば、前方にこんもりとした森が見えます。その正体は、かの有名な『箸墓古墳』です。古代史ファンでなくても、名前ぐらいは聞いたことあるでしょう。大神神社を紹介する上で外せない存在です。
倭迹迹日百襲姫
箸墓古墳の被葬者はヤマトトトヒモモソヒメ(倭迹迹日百襲姫命)です。
早口言葉か
長いので以後、「モモソヒメ」と記述します。
皇女兼巫女
モモソヒメは第7代孝霊天皇の皇女であり、かつ巫女でもあります。オオタタネコが大神神社の祭主に任命されたのも、モモソヒメが下したご神託によるものです。
また、『日本書紀』によれば、モモソヒメは「オオモノヌシの嫁」です。神様の妻だとすれば、物理的には独身だという解釈をすることができます。
卑弥呼と同一人物説
モモソヒメは中国の歴史書『魏志倭人伝』に登場する卑弥呼(?-247)と同一人物という説があります。確かに、巫女というキャラは一致しますし、年代も解釈次第では一致します。
ただし、あくまで一説です。
箸がささって・・
また、『日本書紀』によれば、モモソヒメは夫であるオオモノヌシの実体が蛇だったのを見てショックで倒れこみ、そのとき箸が局部に突き刺さって●亡したとされています。
どういうシチュエーションやねん
もしかしたら、何らかの歴史的出来事を暗喩しているのかもしれません。兎も角、これが「箸墓」という名前の由来だそうです。


大神神社の御朱印
大神神社の御朱印は大神神社の社務所で、摂社・末社の御朱印はそれぞれの社務所で入手できます。


