大和神社

大和神社

大和神社 / おおやまとじんじゃ
Ōyamato-jinja Shrine
戦艦大和ゆかりの神社(だけじゃない)

大和神社の予備知識

大和神社(おおやまとじんじゃ)は奈良盆地東部に鎮座する神社です。他の有名神社に挟まれて目立ちませんが、古代ヤマト王権と関わりが深い、由緒ある神社です。

大和神社の所在地

奈良県天理市新泉町星山306
306 Hoshiyama, Niizumi-chō, Tenri city, Nara Pref.

大和神社の祭神

主祭神は以下の3柱です。いずれも出雲系の神様です。

主祭神
オホクニタマ(倭大国魂神)
Yamato-no-Ohkunitama-no-Kami
中殿
ヤチホコ(八千戈大神)
Yachihoko-no-Ōkami
左殿(向かって右)
ミトシノカミ(御年大神)
Mitoshi-no-Ōkami
右殿(向かって左)

ヤマトノオホクニタマ(倭大国魂神)は『日本書紀』に登場する神様です。オオクニヌシ(大国主)と同一神扱いされる場合が多いですが、異説もあります。

また、ヤチホコ(八千戈大神)もオオクニヌシと同一神扱いされる神様です。名前からしてヤ●チ●なイメージですが、実際そのような逸話があります。

そして、ミトシノカミ(御年大神)は五穀豊穣の神様です。同じく五穀豊穣神であるオオトシノカミ(大歳神)の息子であり、スサノオ(素戔嗚尊)の孫でもあります。元来、「トシ」は穀物の収穫を意味する言葉だったようです。

大和神社を主観的に格付け

由緒

★★★★★
創建年:崇神天皇6年(実年代不詳)

第10代崇神Sujin天皇(3-4世紀?)の命令で、イカガシコオ(伊香色雄命)によって創建されたことになっています。イカガシコオは物部もののべ一族の祖先です。

崇神天皇は宮殿内に祀られていたアマテラス(天照大神)とオホクニタマ(倭大國魂神)を遷座させることにしました。これに関しては、倭姫宮大神神社の記事も参考にしていただきたいです。

アマテラスはトヨスキイリヒメ(豊鍬入姫命)とヤマトヒメ(倭姫命)によって伊勢神宮へ遷座しました。それに対し、オホクニタマはヌナキイリヒメ(渟名城入姫命)とナガオチ(市磯長尾市いちしのながおち)によって、ここ大和神社に遷座しました。

ちなみに、トヨスキイリヒメもヌナキイリヒメも崇神天皇の皇女です。片や「アマテラスの嫁」、片や「オホクニタマの嫁」的な役割を担う、巫女のような立場でした。

社格

★★★★☆
式内社(名神大社)/ 旧官幣大社 / 別表神社 / 二十二社(中七社)

知名度

★★☆☆☆

奈良県内でも知る人しか知らない、穴場的神社ではないでしょうか? 普通に「やまとじんじゃ」と読んでしまいそうですね。

近くに(というほど近くありませんが)大神神社石上神宮があるので、影に隠れてしまう感は否めません。また、両神社を結ぶ『山辺の道』から少し逸れてしまっているので、スルーされがちです。

アクセス

★★★☆☆
・近鉄/JR天理駅→奈良交通バス乗車10分『大和神社前』バス停→徒歩5分
・JR長柄駅→徒歩10分

いちおう駐車場があります。しかし道が狭くてわかりにくいので車での来訪は非推奨です。そもそも奈良県内は総じて道路事情が良くありません。

スケール

★★★☆☆

目立ちませんが、ちょい有名神社くらいのスケール感です。

観光

★★☆☆☆

古代史ファン、もしくは●宙戦艦でないほうの戦艦大和が好きな人にはオススメです。該当しない人にとっては、観光で来ても退屈するだけでしょう。

パワー

★★★★☆
交通安全、勝負運、厄除け、国家安泰ほか

大和神社の周辺地域

山辺の道

山辺の道やまのべのみち』は奈良市の春日大社から桜井市の大神神社までを結ぶ、全長およそ20kmの散策路です。

大和神社は『山辺の道』に直接面してはいません。しかし、ついでに立ち寄れなくはない距離です。どのみち『山辺の道』を一日で走破(というか歩破)することはオススメしません。大和神社をその日の起点または終点に定めてもよいでしょう。

行燈山古墳(崇神天皇陵)

行燈山あんどやま古墳は『山辺の道』沿道にある大きな古墳です。大和神社に参拝するなら、是非とも立ち寄っていただきたい場所です。なぜなら、ここは宮内庁より崇神天皇の陵墓として治定されているからです。

古墳なんて横から見ればただの森なので観光価値ゼロだと思われがちですよね? でも、ここは全国数多の古墳の中で一二を争うほど綺麗に整備されています。『山辺の道』の長閑さとも相まって、パワスポとしても映えスポとしてもオススメです。

ただ、大和神社からはおよそ2km程度の距離があります。折角なら、そのまま『山辺の道』を歩いて、桧原神社や大神神社も参拝するのがオススメです。このあたりには、崇神天皇時代のヤマト王権と関わりの深いスポットが数多く点在します。

大和神社境外

JR長柄駅〜大和神社

今回、『山の辺の道』方面からではなく、JR長柄駅から裏参道?を通って大和神社へ行きました。本当に道がわかりにくいです。この先に「そこそこ大きな神社」があるようには全く見えません。

大和神社境内

さて裏参道を通って境内に入ってみると、こんな感じです。

本殿・拝殿

一般的な神社と同様、拝殿の奥に本殿があります。冒頭で述べた通り、主祭神が3柱いるため、拝殿が1棟なのに対して本殿が3棟あります。

高龗神社と摂社三社

拝殿に向かって左側に、以下の摂社群が鎮座しています。

高龗神社

まず、拝殿左手の赤い鳥居の神社が高龗神社です。たかだか摂社と侮ってはいけません。この高龗神社は、全国数多く存在する水神系神社の総本社なのだそうです。

高龗神とは、水神すなわち龍神のことです。ヌナキイリヒメ(渟名城入姫命)によって創建された雨乞い神社です。

社名高龗神社Takaōkami-jinja
社格大和神社の境内摂社 / 水神系神社の総本社
祭神高龗神Takaokami-no-kami
高龗神は雨師大神とも呼ばれます。

摂社三社

高龗神社の左隣にも、摂社が三社、並んでいます。イチキシマヒメやコトシロヌシは神社ファンにとっては馴染みの深い名前でしょう。

アサヒトヨアカルヒメはあまり聞きなれない名前かと思います。一応、アマテラス(天照大神)の別名とされています。

配置左手中央右手
社名厳島神社Itsukushima-jinja事代主神社Kotoshironushi-jinja朝日神社Asahi-jinja
社格境内摂社境内摂社境内摂社
祭神イチキシマヒメ(市杵島姫命)コトシロヌシ(事代主神)アサヒトヨアカルヒメ(朝日豊明姫神)

戦艦大和展示室

展示室はプレハブの簡素な建物です。一瞬、宇●戦艦のほうと思ってしまいそうですが、実在したほうの戦艦大和です。

戦艦大和とは

戦艦大和やまととは、太平洋戦争で投入された当時世界最大の戦艦です。昭和二十年(1945)、米軍機により撃沈されました。

スケールと火力を誇った割に、あまり戦果を上げることがありませんでした。そのため、「無用の長物」の代名詞のように言われることもあります。まあでも、そのあたりは成果バイアスもあると思います。

四半世紀後に名作アニメを生み出したのが最大の戦果だったりして( ̄^ ̄)ゞ

大和神社との関係

そんな戦艦大和の記念碑や資料館が、なぜ大和神社にあるのでしょうか? なぜなら、戦艦大和の艦内に大和神社の分霊を祀った神社があったからです。

戦艦大和記念碑・祖霊社

また、展示室の向かい側に、記念碑と祖霊社があります。もともとはこの場所に本殿があったそうです。

社名・社格祖霊社それいしゃ大和神社の境内末社
祭神オオクニヌシ(大国主命)
氏子うじこや信者の祖霊
戦艦大和および関連艦隊の乗組員

表参道

今回、裏参道から入って表参道から出たので、その順番で話を進めます。

ちなみに、表参道の長さは約270mで、戦艦大和の長さとほぼ同じです。

増御子神社

二の鳥居のすぐ近くに、もう一つの摂社、増御子神社があります。サルタヒコとアマノウズメは神社ファンにとっては馴染みの深い名前でしょう。

また、イチシノナガオイチは先にも述べた、ヌナキイリヒメから大和神社の祭主を引き継いだ人です。事実上、大和神社の初代宮司と言えるかもしれません。

社名・社格増御子神社Masumiko-jinja大和神社の境内摂社
祭神サルタヒコ(猿田彦命)
アメノウズメ(天鈿女命)
イチシノナガオチ(市磯長尾市)

表鳥居

東側の道路に面した鳥居が一ノ鳥居です。派手さはありません。しかし、どことなく渋みを感じますよね?

境外末社『渟名城入姫神社』

境外で恐縮ですが、最後に末社を一社、紹介させてください。

大和神社の一ノ鳥居を出て右へ曲がり南進、800mほど進みましょう。すると、境外末社の渟名城入姫神社があります。

社名・社格
渟名城入姫神社
Nunakiirihime-jinja
大和神社の境外末社
祭神
ヌナキイリヒメ(渟名城入姫命)
Nunakiirihime-no-mikoto

ヌナキイリヒメは既に紹介した通り、「倭大国魂神の嫁」的な役職を背負った皇女です。大和神社の実質的な創立者と言っても良いかもしれません。

折角ここまで来たなら、先に紹介した行燈山あんどやま古墳こと崇神天皇陵も見ておいてください。ここから800mほど南東へ進み、国道(R169)に合流したあたりです。

御朱印

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