白人神社・磐境神明神社

白人神社・磐境神明神社

白人神社・磐境神明神社
しらひとじんじゃ・いわさかしんめいじんじゃ
The Shrines of Shirahito-jinja & Iwasaka-Shinmei-jinja
ユダヤの遺跡(かもしれない)

白人神社・磐境神明神社の予備知識

白人神社は徳島県美馬市、剣山の麓に鎮座する村社です。奥宮である磐境神明神社は古代ユダヤの遺跡という説があり、にわかに注目度上昇中です。

白人神社・磐境神明神社の基礎データ

所在地徳島県美馬市穴吹町口山字宮内(Anabukichō-Kuchiyama-aza-Miyauchi, Mima city)
創建年仁賢天皇(the 24th Emperor Ninken, 5世紀?)の時代あくまで伝承
主祭神ニニギ(瓊瓊杵尊)アマテラスの孫神
アマテラス(天照大神)言わずと知れた太陽神
イザナミ(伊弉冉尊)アマテラスや日本列島の母神
トヨアキツヒメ(豊秋津師比売命)タクハタチヂヒメ(豊秋津師比売命)と記される場合もある機織りの神、かつニニギの母神
崇徳上皇(the Retired 75th Emperor Sutoku, 1119-1164)保元の乱(Hōgen-no-ran, 1156)で敗れて讃岐(Sanuki, 現在の香川県)に追放された
源為朝(Minamoto-no-Tametomo, 1139-1170)保元の乱で崇徳上皇に味方した
社格旧村社
知名度パワスポ通や古代史マニア以外にはほぼ無名と断言
アクセス★★・徳島自動車道脇町ICより約20分『穴吹川観光駐車場』に駐車可
観光★★剣山観光のついでに寄るのは有りだと思う
スケール★★神社そのものは小さいが周辺の景色は雄大だ
パワー★★★★磐境神明神社のパワーはもちろん、白人神社の『撫で兎』も開運のご利益がある

由緒と由来

由緒

第24代仁賢Ninken天皇(5世紀?)の時代、1柱の白髪の神様がこの地に降臨しました。そして、この地を『宮内』Miyauchiに改称し、祭祀場を建造するよう神託を下しました。

以上のような伝承が神社創建の由緒となっています。

由来

名前の由来は白髪の神様に因むのでしょう。ただ、日ユ同祖論の先入観があると、いわゆる「白人さん」のことかと思いますよね。ただ、古代ユダヤ人が白人だったかどうかは不明だそうです。

もし仮に、白髪の神様の正体が白人系民族の移民だとしたら、祭神はニニギやアマテラスよりもサルタヒコ(猿田彦大神)のほうがしっくり来ます。

為朝の矢

以下のような伝承があります。

源為朝が讃岐に追放された崇徳上皇を訪ねて相栗峠にやって来ました。為朝が矢を放つと、それが白人神社に落ちました。

ちなみに、相栗峠(Aiguri-Tōge, 標高580m)は現在の香川県と徳島県の県境付近です。なお、白人神社からの直線距離は約14kmあります。

しかも直接飛んだのではなく、いったん岸壁にぶち当たった矢が跳ね返って白人神社まで飛んでいったらしい…

白人神社の周辺地域

日ユ同祖論のメッカ

霊峰剣山を含む美馬市一帯は日ユ同祖論を裏付けるような史跡や伝承が幾つかあります。白人神社もその中の一つです。あと、このあたりは秦(Hata)姓が多いです。やはり、古代にユダヤ系の人たちがこの辺りに移住して来ていた名残なのでしょうか?

とはいえ、まだまだ都市伝説の域を出ない話です。

地元の人に真顔でこの話をすると、たぶん失笑されるだろうd( ̄  ̄)

霊峰剣山

剣山Tsurugi-san(1,995m)は霊山として名高い山です。特に近年は、古代ユダヤの秘宝『アークの棺』が隠されているいう都市伝説が広まり、注目度が高まっています。

また、剣山の周辺地域には平家の落ち武者が移り住んだと云われる集落が数多く存在します。

清流穴吹川

穴吹川Anabuki-gawa吉野川Yoshino-gawaの支流で、剣山を水源とする清流です。白人神社はそんな清流に架かる『白人橋』のすぐ近くにあります。なお、現在の白人橋の近くに、撤去された旧・白人橋の橋脚が残っています。ですが、これはこれで情緒を感じますよね。

白人神社境内

神社自体はまあ、普通のこぢんまりとした神社です。しかし境内から眺める山々は雄大にして絶景です。

しあわせなでうさぎ

写真ではわかりにくくて恐縮ですが、石灯の上にウサギ像が乗っているのがお分かりでしょうか? このウサギは神の使いと云われる白兎で、撫でると開運のご利益があるそうです。

白人神社奥宮『磐境神明神社』

磐境神明神社の石段

さて、白人神社の国道側じゃないほうの鳥居を出ると、目の前に長い石段があります。この石段の先に鎮座するのが、奥宮の磐境神明神社いわさかしんめいじんじゃ、日ユ同祖論のメッカです。

磐境神明神社境内

石垣と祠

長い石段を登って鳥居を潜ると…

あれ?社殿が無い(o_o)

その代わり、石垣が長方形を囲むように積まれています。石垣の高さはだいたい大人の身長くらいあります。幅は東西に22m、奥行きは南北に7mです。3箇所入口があって、中に入ってみると5つの祠が並んでいます。

社名磐境神明神社Iwasaka-Shinmei-jinja白人神社の奥宮
祭神アマテラス(天照大神)諸説あり

ユダヤの祭祀場?

実はこの石垣と祠こそが、古代ユダヤ系民族の祭祀場跡ではないかと言われてる遺跡です。なんでも、構造がイスラエルの古代都市テル・アラッドの神殿跡に酷似しているのだそうです。

実際どうなん?

実際のところ、本当にユダヤの祭祀場かどうかは不明です。偶然似てただけかもしれないし、後で意図的に似せた可能性も否定できないでしょう。

ただ、神社の建造物として明らかに異質なものであることは紛れもない事実です。それに近年、駐日イスラエル大使がこの地を公式訪問しています。

心情的にはユダヤの祭祀場説を支持したいですが、そうでなくても誰が何のために作ったかは気になりますよね。

おまけ

折角なので、源為朝が放った矢の軌跡を地図上に描いておきます。そういえば、平家がユダヤ人の末裔という説もありますね。私は深読みが好きなので、矢の逸話も、源氏と平家と天皇家の関係を暗示しているのかな…みたいに考えてしまいます。

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