倭文神社

倭文神社

倭文神社 / しとりじんじゃ
Shitori-jinja Shrine
祭神は古代のアパレル社長?

倭文神社の予備知識

倭文神社は伯耆国一宮で、織物の神タケハヅチを祀っていますが、オオクニヌシの娘シタテルヒメにまつわる逸話も多く残されています。

読み方

基本的に読み方は「しとり」ですが、「しどり」「しづり」と読まれる場合もあります。後でもう少し掘り下げます。

倭文神社の所在地

鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内754
754 Miyauchi, Yurihama town, Tōhaku district, Tottori Pref.

倭文神社の祭神

主祭神
タケハヅチ(建葉槌命)
Takehazuchi-no-Mikoto
機織りの神とされるが性別は不明
シタテルヒメ(下照姫命)
Shitateruhime-no-Mikoto
オオクニヌシの娘

主祭神についても後でもう少し掘り下げます。

倭文神社を主観的に格付け

由緒

★★★★☆
創建年不詳

9世紀初頭の文献に名前が初登場します。

社格

★★★☆☆
式内小社伯耆国一宮旧国幣小社別表神社

一宮神社としては平均的な社格です。

知名度

★★☆☆☆

一宮神社としては、全国的な知名度は低いほうだと思います。

アクセス

★★☆☆☆
  • 山陰自動車道(国道9号BP)『はわい』ICから車で10分程度、駐車場あり

スケール

★★★☆☆

一宮神社の割に境内は広くありませんが、出雲山からの雄大な景色でボーナス加点。

観光

★★☆☆☆

単体で観光地と呼ぶにはつらいです。

パワー

★★★★☆
安産縁結び

倭文神社の周辺地域

伯耆ほうき国は今でいう鳥取県西部なので、だいぶ島根寄りかつ思いきや、けっこう東寄りです。なお、鳥取市の同名神社とは別神社です。

はわい

車でのアクセスの場合、まず山陰自動車道『はわい』ICを通る場合が多いでしょう。この付近の地名は羽合はわいなので、文字通りハワイを意識したような街並みが所々垣間見らます。

東郷池と出雲山

東郷池とうごういけという大きな池に沿って県道を進むことになるでしょう。途中、出雲山展望台という展望台があります。ここから東郷池や大山だいせんを見渡すことができます。

倭文神社のもう1柱の祭神、シタテルヒメがここの景色をよく眺めていたという伝承があります。

倭文神社境外

出雲山展望台のある県道から曲がって、ちょっと狭い道に入る必要があります。そこから山道を登っていくのですが、距離も勾配も大したことはありません。決して酷道険道弔道ではないので、ご安心ください。

山道を少し進めば、駐車場と倭文神社の鳥居が見えてきます。駐車場は決して広くはありませんが、普段であれば難なく停められるはずです。なにしろ、筆者が訪問した一宮神社の中で、一二を争うほど参拝者が少なかったからです。

なお、駐車場から20mほど戻った(降りた)あたりに安産岩があります。道路に直接面しているので、参拝の際は車に注意してください。

倭文神社境内

鳥居のすぐ先に神門があり、それを潜れば境内です。一宮神社とは思えないほど静かです。

だがそれがいい。

天気のいい日に来れば、きっと癒されるはずです。

参道

伯耆一ノ宮経塚

参道の右手に伯耆一ノ宮経塚ほうきいちのみやきょうづかがあります。主祭神シタテルヒメ(下照姫命)の墳墓だと伝えられてきました。しかし大正時代の発掘により、お経が納められた銅製の筒などが発見されました。これらの出土品は奈良時代から平安時代にかけてのもので、現在は東京国立博物館に収蔵されています。

神域

本殿・拝殿

本殿と拝殿はシックで落ち着いた建造物です。怖い狛犬2頭(2柱?)によって護られています。

倭文神タケハヅチ

主祭神のタケハヅチについて少し掘り下げましょう。日本神話の基礎知識がある人でもあんまり聞き慣れない名前ではないですか? 機織りの神なので女神かと思いきや、性別不詳だそうです。他の文献に登場するアメノハヅチオ(天羽槌雄神あめのはづちのおおかみ)と同一神とされるので、その場合は雄神おのかみなので男性神ということになります。

倭文=しづ織り

タケハヅチの前に、

そもそも『倭文』って何? なんで「しとり」って読むの?

という話から。

倭文っていうのは『しづ織り』のことで、絹織物の一種です。「倭国」の「文」(模様のこと)が入った織物なので「倭文織」という当て字をしたと考えられています。

現代と古代では仮名遣いのルールが違う(例えば清音と濁音の区別が無い)ことや、この地域の方言などを考慮すると、「シトリ」と書いて「シドゥリ」(Shiduri)のように発音していたのではないでしょうか。

スイマセン、ここは素人の憶測ですので(汗)

ともかく、『しづ織り』は当時におけるこの地域の有力な地場産業。タケハヅチを現代に例えるなら、アパレルメーカーの社長から県知事に上り詰めて中央の政界にも進出☆みたいな人だと思います。

『天岩戸作戦』でも活躍

天岩戸作戦については天岩戸神社の頁を参照してください。この日本神話における有名なワンシーンに、タケハヅチもしっかり登場しています。

アマテラスを気を引くための倭文織を作った(以上)

出番を作るために強引にねじ込んだ感がありますが、大事なのは、色んな神様が自分の得意分野で活躍したということです。

アマツミカボシを征討

これまた聞き慣れない名前でしょうが、アマツミカボシ(天津甕星)というのは『日本書紀』に登場する神様です。悪神扱いされていますが、これはアマテラスに対する反逆勢力だった為です。これを征討したのがタケハヅチです。

葦原中津国(出雲王朝?)を制した戦闘力チート級の武神、タケミカヅチでさえ討伐できなかったアマツミカボシを、タケハヅチは討伐してしまったのです。機織りだけを担う神様と捉えるのは無理がありそうです。

茨城県日立市にある大甕神社Ōmika-jinjaは、主祭神がタケハヅチ、地主神がアマツミカボシとなっています。おそらく、アマツミカボシの勢力拠点だったその地を、タケハヅチが制圧したことの名残でしょう。

御朱印

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