
鵜戸神宮
Udo-jingū Shrine
鵜戸神宮に関する予備知識
鵜戸神宮は宮崎県南部の鵜戸崎という岬に鎮座する神宮です。主祭神は神武天皇の父神であるウガヤフキアエズ(鸕鷀草葺不合尊)です。
鵜戸神宮の所在地
鵜戸神宮の祭神
主祭神 | ウガヤフキアエズ(鸕鷀草葺不合尊) Ugayafukiaezu-no-mikoto | |
---|---|---|
相殿神 | オオヒルメ(大日孁貴) Ōhirume-no-mikoto | 天照大神と同一 |
オシホミミ(天忍穂耳尊) Ame-no-Oshihomimi-no-mikoto | 天照大神の子 | |
ニニギ(彦火瓊々杵尊) Hikoho-Ninigi-no-mikoto | オシホミミの子 | |
ヒコホホデミ(彦火々出見尊) Hikoho-Hodemi-no-mikoto | ニニギの子、山幸彦と同一、主祭神の父 | |
イワレヒコ(神日本磐余彦尊) Kam-Yamato-Iwarebiko-no-mikoto | 主祭神の子、神武天皇と同一 |
主祭神は初代天皇である神武天皇の父神であり、正式な名前は日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊となっています。
また、相殿として主祭神の直系が祀られています。主祭神の父神は「山幸彦」として知られるヒコホホデミ(彦火々出見尊)で、母神は海神の娘であるトヨタマヒメ(豊玉姫命)です。
鵜戸神宮を主観的に格付け
由緒
社伝によれば、創建年は崇神天皇の時代とされています。つまりヤマト王権が確立しつつあった時代です。延暦元年(782)に桓武天皇の勅命により仏教寺院として再興され、明治元年(1868)の神仏分離令により神社となりました。
社格
式内社でない理由は平安時代において神社ではなく仏教寺院であった為でしょうね。
知名度
昭和四十年代頃は新婚旅行の定番として全国的に有名だったようです。
アクセス
- JR宮崎駅→バス乗車約60分『鵜戸神宮』停留所下車→徒歩10分
- JR日南線『油津』駅→バス乗車約20分『鵜戸神宮』停留所下車→徒歩10分
- 宮崎市中心部より車で約60分(大型駐車場あり)
バスは2時間に1本程度と思ってください。
車の場合、直線距離は大したことないですがカーブが多い道を走るのと、境内近くの道路は一部道幅の狭い箇所があります。ルートは下の地図を参考にしてください。
スケール
観光
意外にも外国人観光客の方々を多く見かけました。確かに、観光地として十分に通用すると思います。
パワー
神話の聖地としてだけでなく大地のパワーを感じられるスポットです。
鵜戸神宮の周辺地域
宮崎市中心部からだと、一般国道(R220)を経由するルートと東九州自動車道を経由するルートがあります。どこが起点かにもよりますが、時間はさほど変わりません。青島神社に立ち寄る場合は前者一択ですが、運転しやすさでいえば後者を推奨します。
鵜戸神宮境内
参道
駐車場
境内は国道よりも海に近く海抜の低い場所にあります。そのため、駐車場は国道側の高い場所と海沿いの低い場所にそれぞれあります。私は下の駐車場から入りましたが、この時点で既に南国の観光地らしい雰囲気が感じられました。
二ノ鳥居
駐車場に面した朱色の鳥居がニノ鳥居です。このすぐ先で、上の駐車場から続く『八丁坂参道』と合流します。なお、八丁坂参道には、ここがかつて寺院であった頃の高僧たちの墓である『別当墓地』があります。
神門
先に進むと神門があります。鮮やかな朱色の門ですが、風景に溶け込んでいます。
私は完全に見落としていたのですが、神門をくぐる前に左手にある社務所奥の稲荷神社から『吾平山陵』へ行くことができます。ウガヤフキアエズ(鸕鷀草葺不合尊)の墓所比定地の一つです。ただ、険しい道を20分くらい登らないといけない上に、一般の観光客にとって面白いものは無さそうです。
楼門
神門の先に楼門があります。こちらも神門と同じ色ですが、海の色とのコントラストでより一層美しく見えます。








神窟
本殿
本殿は洞窟のような場所にあります。この場所で主祭神が生誕したとされています。私が知る限り、本殿が洞窟内にある神社はここだけです。
お乳岩
本殿の裏手にあります。主祭神の母神であるトヨタマヒメ(豊玉姫命)が乳房をくっつけたとされる岩です。主祭神はここから垂れ落ちる水滴を母乳代わりに育ったと云われています。
嚴岩群
神窟の眼前には様々な形状の巨岩が立ち並んでおり、大地のパワーを感じられます。山神と海神から産まれた主祭神の生誕地としてふさわしい場所だと思います。





浅間神社の御朱印
