宇佐神宮

宇佐神宮

宇佐神宮 / うさじんぐう
Usa-Jingū Shrine
八幡さん総本社の名はUSA

宇佐神宮の予備知識

宇佐神宮は一般的に宇佐八幡宮うさはちまんぐうとも呼ばれます。全国に24社ある『神宮』の一社であり、なおかつ『八幡宮』の総本社でもあります。

所在地大分県宇佐市南宇佐
創建年奈良時代(725)古墳時代末期(571)、大神比義(Ōga-no-Higi)が第15代応神天皇の霊を召喚したことが起源とされる
主祭神八幡大神(Hachiman-Ōkami)応神天皇(the 15th Emperor Ōjin, 4-5世紀?)と同一視
比売大神(Hime-Ōkami)宗方三女神(Munakata-San-Joshin)と同一視
神功皇后(Empress Jingū)応神天皇の母
社格★★★★★式内社 / 旧官幣大社 / 別表神社 / 勅祭社 / 神宮二十四社 / 豊前国一之宮 / 八幡神社総本山
知名度★★★★★教科書にも載ってるので知名度は高いはず
アクセス★★★JR宇佐駅タクシー→10分弱(バスもあるが本数少)
観光★★★★屋台や土産物店も充実していて観光地観光地してる
スケール★★★★★体感的に伊勢内宮に匹敵する規模
パワー★★★★金運や勝負運、縁結びのご利益があるとされる

歴史的な出来事の舞台になったことから、日本史の教科書で知った人も多いのではないでしょうか。

九州の神社の中で最もメジャーなのでは?(異論は認める)

宇佐神宮の周辺地域

JR宇佐駅

JR宇佐駅に到着してみたら…

USAだらけ(^O^)

駅周辺はファミレスが1件ある程度で、あまり時間を潰す場所がありません。バスも本数が限られているので、宇佐神宮へはタクシーかレンタカーあたりで行くことになるでしょう。

宇佐神宮境外

到着してみると、想像以上のスケール感に圧倒されます。体感的には伊勢神宮の内宮に匹敵するレベルかと思います。

宇佐神宮境内

参拝順

境内は上宮(Jōgū)と下宮(Gegū)に分かれています。上宮→下宮の順番で参拝するのが慣わしですが、これは普通に順路に従えば良いです。上宮も下宮も一の御殿→二の御殿→三の御殿(つまり左から右へ)の順番で参拝します。

御殿と祭神の対応表

基本的に上宮も下宮も同じです。

参拝順名称配置祭神
一之御殿向かって左八幡大神(Hachiman-Ōkami, 応神天皇と同一神・同一人物とされる)
二之御殿中央比売大神(Hime-Ōkami, 宗方三女神と同一神とされるが実体不明)
三之御殿向かって右神功皇后(応神天皇の母)

四拍手奨励

宇佐神宮も出雲大社と同じく四拍手奨励だと知って驚きました。

出雲大社と何か繋がりがあったっけ?

ただ、古代にこの地域の領主だったと思われる宇佐一族(白兎神社の頁参照)が出雲王朝と関わりが深いのかもしれません。

もしかすると、出雲のオオクニヌシに対するリスペクトかも?

宇佐神宮上宮

ニの御殿が写真の『勅使門』という中央の一番立派な建物の先に配置されていますが、これがちょっと不可解です。

なぜ、主祭神筆頭格の八幡大神が中央じゃないのか?

もしかすると、比売大神のほうが日本古来の神様だからでしょうか? 八幡大神よりも神様として先輩格だからかもしれません。

上宮

宇佐神宮下宮

上宮を参拝した後は必ず下宮も参拝するのが慣わしです。素直に順路に従って石段を降りれば自ずと下宮に辿り着きます。

先述の通り、下宮も上宮も参拝順と祭神の配置は同じです。ただし、下宮では一之御殿に八幡大神と大神比義おおがのひぎが合祀されています。

大神比義は宇佐神宮創建より100年以上前の人ですが、この人が宇佐神宮の初代神官ということになっています。名前からして大神神社の関係者という説もあれば、朝鮮半島からの渡来人という説もあります。

宇佐八幡宮神託事件(769)

さて、もともと知名度の高い神社ですが、日本史の授業で宇佐神宮を知った人も多いでしょう。 奈良時代の『宇佐八幡宮神託事件』ですが…

まさか今の教科書には載ってないなんてことは無いよね…?

余談ですが、私は小学生時代、学研の歴史マンガ『日本の歴史 – 第3巻奈良の都(奈良時代)』を読んで知りました。物語のヒロイン?こと称徳天皇がヒステリックなバ●ァに描かれいて、なかなかインパクト強烈でした。今思えば、あの漫画家さんの絵柄がいちばん渋カッコよかったと思います。

ざっくり概要

宇佐神宮創建から44年後、奈良時代の出来事です。ざっくり言うと、当時の女性天皇こと称徳天皇しょうとくてんのうが、仏教僧侶の道鏡どうきょうを天皇にしようとしたことに対して、神社勢力や有力貴族が絡んだ政治的内紛です。

称徳天皇は道鏡を天皇にしたいのですが反対勢力がうるさいので、神様のお告げということにして黙らせようとしました。お告げを聞くために宇佐神宮へ派遣されたのが和気清麻呂わけのきよまろです。

嫌な役目だなーー;

和気清麻呂は奈良に戻ると「神様は道鏡を天皇にしてはいけないと仰せでした」と報告して天皇の激怒を買います。追放された挙句、『キタナマロ』に改名させられました。

理不尽だなぁ(でも、後に復職するんだけどね)

なぜ宇佐まで?

でも、なんで「神様のお告げ」を聞くために、わざわざ奈良から遠い宇佐神宮まで行く必要があるのでしょうか?

大神神社や伊勢神宮ではあかんの?

もしかすると、当時の宇佐神宮はそれらを凌ぐほどの権威を持っていたのかもしれません。そうだとすれば、称徳天皇は自分の愛人を天皇にしたいとかいう私的感情からではなく、仏教勢力と八幡神勢力との均衡を保つために、色々と計算して行動していたように思えてきます。

八幡大神と応神天皇

主祭神の八幡大神、第15代応神天皇と同一神・同一人物とされますが、これは政治的理由による後付け設定感が漂います。

こういうことを書くとあっち方面から何か言われそうなので怖いけど(・・;)

八幡大神

この神様のルーツについては本当に様々な説があります。明確なことは不明ですが、朝鮮半島から伝来した神様という説が有力です。

渡来人である『秦』(Hata)一族が信仰する神様とも言われます。そもそも「八幡」を「Hachiman」と読むのは音読み普及以降のもので、「Yahata」が古来の読み方です。なので、秦一族が関係している可能性は高いと思います。ついでに都市伝説を一つ紹介します…

八幡=旧約聖書のヤハウェだそうです(^_^)

第15代応神天皇=ホムタワケ(誉田別尊)

実は『応神天皇』という呼称が付けられたのは後世のことで、『日本書紀』等の古文書には、誉田別尊ほむだわけのみこと誉田天皇ほむたのすめらみこと、など様々な名前で記載されています。

ホムタワケ(誉田別尊)は渡来人から知識や技術を取り入れて国を発展させたとされます。

この人自身が渡来人という説もあ・・

また、武術に秀でていたことから、後世には武神として崇拝されています。

八幡大神=応神天皇の根拠は?

『宇佐八幡宮託宣集』という14世紀の文献が根拠です。

菱形池で大神比義が祈りを捧げると子供の姿をした神様が現れ「我こそは八幡大神誉田別尊なり〜!」という言葉を発した。

このような内容が西暦571年の出来事として記されています。これが実話だとは到底思えませんが、八幡大神と応神天皇を同一人物(同一神)とする根拠となっています。

いつから八幡大神=応神天皇になった?

『宇佐八幡宮託宣集』以外の文献にも、八幡大神=応神天皇をほのめかすような記述がいくつか存在しているそうです。けれども、『古事記』や『日本書紀』およびそれ以前の古文書には、そういった記述は一切存在しないそうです。『古事記』や『日本書紀』の成立は宇佐神宮創建年の少し前なので、もしかすると八幡大神と応神天皇を同一神とする説は宇佐神宮創建に伴って生じたものかもしれません。

いずれにせよ、何がなんでも八幡神と天皇家を習合したい政治的理由があったのでしょう。当時の九州で八幡神を信仰する勢力が日増しに大きくなることが、奈良の朝廷にとっても脅威だったのではないでしょうか。

宇佐神宮の御朱印

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