倭姫宮

倭姫宮

倭姫宮 / やまとひめのみや
Yamatohime-no-miya Shrine
近代伊勢のシンボル

倭姫宮の予備知識

倭姫宮は伊勢七社の中で唯一、近代以降に創建された別宮です。伊勢神宮の創建者を主祭神としており、内宮と外宮の中間地点に鎮座しています。

伊勢七社相互リンク

倭姫宮の所在地

三重県伊勢市楠部町5
5 Kusube-chō, Ise city, Mie Pref.

倭姫宮の祭神

主祭神
ヤマトヒメ(倭姫命)
Yamato-Hime-no-Mikoto

ヤマトヒメ(倭姫命)は第11代垂仁すいにん天皇(3-4世紀?)の皇女であり、ヤマトタケル(日本武尊)の叔母でもあります。また、伊勢神宮の創建者とされる場合もありますが、それに関しては後ほど深掘りします。

倭姫宮を主観的に格付け

由緒

★☆☆☆☆
大正十二年(1923)創建

社格

★★★★☆
皇大神宮の別宮

知名度

★★☆☆☆

伊勢初心者は存在すら知らないでしょう。

アクセス

★★★☆☆
  • 近鉄『宇治山田』駅または『五十鈴川』駅→徒歩15分
  • 三交バス『神宮徴古館前』下車すぐ

若干、中途半端な場所ですが、バスは頻繁に来ます。

スケール

★★★☆☆

参道は鬱蒼としていて、それなりに広く感じます。

観光

★★☆☆☆

単体で観光はきついです。内宮参拝のついでに、近隣の美術館や博物館とセットで参拝しましょう。

パワー

★★★★☆

ヤマトヒメは優しい人柄なので、色んな悩み事や願い事を聞いてくださるそうです。

倭姫宮域外

倭姫宮は外宮と内宮の中間あたりの御幸道路沿いに鎮座しますが、伊勢初心者はスルーしがちです。しかし、周囲には神宮徴古館や神宮美術館、神宮農業館などの見所があります。それらの近代建築物が立ち並ぶ一角は、一国の首都を思わせるような雰囲気が漂っています。

神宮美術館

神宮美術館は倭姫宮の鳥居から少しだけ坂を降りた大型駐車場に隣接しています。全国の著名な美術家から式年遷宮記念に奉納された美術品の数々が展示されています。

神宮徴古館

神宮徴古館Jingū-Chōko-kanは倭姫宮の鳥居前にある博物館です。西洋の宮殿のような美しい建物です。主に伊勢神宮の祭祀に関する資料や装束などを展示しています。

神宮農業館

神宮農業館は明治24年(1891)に設立された、日本最古の産業博物館です。農林水産業や自然科学がテーマです。設立の背景には、太陽神アマテラスと農業神トヨウケの御神徳を広める意図があったそうです。

皇學館大学

そして正面には神道界の名門校、皇學館Kōgakkan大学のキャンパスがあります。学生さん達が箒で掃除しているのが微笑ましいです。

倭姫宮域内

鳥居

鳥居が御幸道路前と、神宮徴古館前の2箇所にあります。

倭姫宮

摂社や末社のようなものは見当たりません。また、別宮も式年遷宮が行われるので、神殿の隣接地に古殿地があります。

社名
倭姫宮
Yamatohime-no-miya
皇大神宮の別宮
祭神
ヤマトヒメ(倭姫命)
Yamatohime-ho-mikoto
垂仁天皇の皇女、ヤマトタケルの叔母、第2代斎宮

第2代斎宮ヤマトヒメ

さて、主祭神であるヤマトヒメ(倭姫命)について、深掘りしましょう。

ヤマトタケルの叔母

ヤマトヒメ(倭姫命)は第11代垂仁天皇Suininの皇女です。また、第12代景行Keikō天皇の姉か妹であり、英雄ヤマトタケル(日本武尊)の叔母でもあります。ヤマトタケルが東国遠征で伊勢神宮に立ち寄った際、彼に草薙剣を授けました。

斎宮とは

ヤマトヒメは2代目『斎宮』Saigūでもあります。斎宮とは、端的に言えば「アマテラスの妻」的な役目を担う役職です。『いつきのみや』または『いわいのみや』と呼ばれる場合もあります。

アマテラスは女性神なのになぜ妻がいるか違和感あるでしょう。これに関しては諸説ありますが、アマテラスは元々男性神設定だったという説もあります。

なお、『斎宮』という役職は鎌倉時代(14世紀)まで続きました。また、上賀茂神社・下鴨神社の『斎院』Sai-inと合わせて『斎王』Saiōと呼ばれる場合もあります。

アマテラスのお引越し

お引越しという名目の追放

第10代崇神Sujin天皇は、自分の居城に2柱の神様を祀っていました。アマテラス(天照大神)と倭大国魂神Yamato-Ōkunitama-no-Kamiです。後者はあまり聞きなれない名前ですが、オオクニヌシ(大国主神)と同一神という説があります。

その頃、国内で疫病や災害などが立て続けに起こりました。崇神天皇はその原因について、2柱の仲が悪いせいだと考えました。そして、それぞれの神様を別の場所に遷そうと画策しました。

これって一種の政教分離政策だよなぁ…

けれども「神様を追い出した」みたいに思われるのは、決して体裁が良いものではありません。そこで、自らの皇女を神様に「嫁入り」させることにしました。そうすることで「追放ではなく、もっと良い場所にお引越しいただく」という体裁を保ったわけです。

初代斎宮トヨスキイリヒメ

アマテラスに「嫁入り」したのは崇神天皇の皇女であるトヨスキイリヒメ(豊鍬入姫命)です。

ちなみに、トヨスキイリヒメは魏志倭人伝に登場する『台与』Toyoと同一人物であるという説も存在します。

アマテラスの鎮座地を求めて、トヨスキイリヒメの旅が始まりました。まず最初に、笠縫邑Kasanui-muraという場所に鎮座しました。大神神社の境外摂社である桧原神社がその比定地とされています。

ヤマトヒメにバトンタッチ

トヨスキイリヒメはその後も各地を転々としますが、何故か途中でその役目を返上します。

それを引き継いだのが、第11代垂仁Suinin天皇の皇女であるヤマトヒメです。彼女はより良い鎮座地を求めて、各地を旅歩きました。元伊勢籠神社瀧原宮などもその比定地に数えられます。

そして最後にたどり着いた先が、現在の伊勢神宮(内宮)がある場所です。

いちおう、これでお引越し自体は完了なのですが、『斎宮』という役職自体は後世まで残ったというわけです。つまり、ヤマトヒメは事実上の2代目斎宮であると同時に、伊勢神宮の創建者とも言えるでしょう。

御朱印

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