橿原#益田岩船

橿原#益田岩船

益田岩船(ますだのいわふね)は橿原市南部の丘の上にある巨大な石造物です。製作された時代や用途は不明です。

予備知識

橿原市

橿原市(かしはらし)は奈良盆地南部に位置する奈良県第二の都市です。

奈良県の南の方だと誤解されがちだけど県全体で見れば全然北部なんだよね〜

隣接する明日香村(あすかむら)も含め、『飛鳥(あすか)』と呼ばれることが多いです。かつて日本の首都が置かれた地域なので史跡が数多く点在します。今年(2026)、これらの史跡群がユネスコ世界文化遺産に登録される可能性があります。

益田岩船

益田岩船(ますだのいわふね)は橿原市の南部の小高い丘の上にある、幅約10m、高さ約5mの石造物です。

石舞台古墳などとは異なり、製造された時代や用途が不明です。その為か、世界遺産登録候補の構成要素には含まれていません。

私は歴史好きな方なので、飛鳥エリア(橿原含む)自体は何度も探訪したことがあります。しかし、恥ずかしながら益田岩船はごく最近、YouTubeの動画で知りました。

へ〜飛鳥にこんな場所あったんや〜さっそく行ってみよう!

史跡巡りレポート

今回、私が歩いたのは以下のルートです。

アクセス手段がわかりにくいですが、とりあえず白橿小学校を目指して歩きましょう。最寄駅は近鉄吉野線の岡寺駅ですが、前後の駅(橿原神宮前駅と飛鳥駅)とは異なり特急列車は停車しません。

益田岩船を訪れる人が少ない理由は、他の史跡から少し距離があり、セットで観光することが難しい為です。あえて益田岩船だけを見る為にここへ来る人は歴史ファンやパワスポ巡ラーくらいでしょう。

岡寺駅前

橿原ニュータウン

岡寺駅前は橿原ニュータウン(住所でいえば白橿町)という閑静な住宅地が広がっています。

牟佐坐神社

岡寺駅の正面に架かる橋を渡り、右へ少し進むと牟佐坐神社(むさにますじんじゃ)という神社があります。小さな神社ですが、『日本書紀』にも登場する由緒ある神社です。

高取川

先ほど渡った橋は高取川(たかとりかわ)という川に架かっています。高取町にある高取城趾付近が源流で、橿原ニュータウンを縫うように流れています。ご覧の通り護岸に桜並木が植えられています。

左の写真、川の正面にある山が貝吹山(かいぶきやま, 209m)です。その左手前に少し低い丘のようなものが見えますが、益田岩船はこの「岩船山」の中腹にあります。

見瀬城趾

牟佐坐神社の裏手あたりに見晴らしの良い児童公園があります。ここは見瀬城(みせじょう)という中世の砦の跡があります。南北朝時代(14世紀)に南朝方の武家であった越智(おち)氏の砦だと考えられています。また、見瀬(みせ)は牟佐(むさ)が訛ったものらしいです。

岩船山

さて、いよいよ岩船山に入ります。地図を見ただけでは、登山道も何を載っていないので、どこから入れば良いかわかりません。とりあえず、白橿小学校を左手に、幹線道路の歩道を歩いてください。小学校の駐車場あたりで上の歩道に登る階段を登り、白橿西集会所の方向へ歩けばOKです。

間違っても、小学校の敷地には入らないでくださいね(^_^;)

左の写真、益田岩船への登り口が見えてきます。大した距離ではありませんが、右の写真のような結構細くて急斜面な場所もあるので、プチ登山のつもりで臨みましょう。

急斜面を登りきると、青竹に囲まれた小径が続いています。嵐山のような華々しさはありませんが、静寂のオーラに包まれています。

まだこの先けっこう歩くのかなと思いきや…!?

見えてきました!

益田岩船

で…でか!

想像以上のド迫力です。いったい、いつ誰がどんな目的でこんな物を作ったか運んできたかしたのでしょうか??

説明板には“東西11m、南北8m、高さ(北側面)4.7m”と書かれています。ティラノサウルスくらいの大きさですかね? 山の中にこんな巨石を運ぶのは現代の技術でさえ至難の技なので、地中に埋もれていた岩を掘り返したり削り取ったりしたのでしょうね、おそらくは。

側面を見ると、何かを象ったような感じです。亀にも見えますし、ガマガエルにも見えます。甲羅か鱗のようなものが丁寧に掘られていますね。亀の顔のようなものも見えます。

上面を見ると方形の穴が2箇所あります。説明板によれば、”東西1.4m、南北1.4m、深さ1.3m”だそうです。冒頭で製作時期は不明と述べましたが、石工技術などは7世紀後半の他の石造物と共通点が見られるそうなので、やはり飛鳥時代の可能性が高そうです。

いったい何の目的でしょうね? 諸説あるようですが、松本清張の歴史ミステリー小説『火の路』ではゾロアスター教の祭壇説が採用されています。

ゾロアスター教は拝火教とも呼ばれます。現代でこそマイナーですが、古代ペルシアにおいては超メジャーな宗教です。それに、ペルシア系の移民が飛鳥時代の日本で官職に就いていたという文献も存在します。なので、可能性としてはあるかもしれませんね。

しかし、作りかけの古墳という説が現時点では最も信憑性が高いようです。古墳にするつもりだったのが頓挫し、代わりに500m先の場所に牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)ができたというものです。言われてみれば確かにそうかもしれませんね。けれども、古墳作りが頓挫した後、勿体ないので誰かがアレンジして別の用途で使おうとした可能性も捨てきれないです。

総括

とにかく、予想以上の迫力で驚きです。いつ何の目的で作られたか、想像してみるだけで楽しいです。

訪れる人が少ない理由は飛鳥エリアの他の史跡群から少し隔絶された場所にあり、行き方が分かり辛い為だと思われます。ちなみに、この場所は牽牛子塚古墳から直線距離で500m程度ですが、片や明日香村、片や橿原市という行政の壁が存在する為か、ウォーキングトレイルで結ばれていたりはしないようです。

とはいえ、最近は私のようにYoutube動画で知る人も増えたので、訪れる人は増えるでしょうし(私が訪問した時は私以外に4-5人の方がいらっしゃいました)、将来的には他にもアクセス路が整備されるかもしれませんね。

今後、益田岩船に関して何かニュースがあれば、記事を更新したいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA